お茶

矢野顕子さんの「春咲小紅(はるさきこべに)」って曲をご存知ですか?

化粧品会社のCM曲としても採用され、

「ほ〜ら、はるさきこ〜べに、みにみに見に来てね」と流れていました。

真偽のほどは分かりませんがこの曲に関しておもしろい話を聞いたことがあります。

この曲が発表された翌年の春にポートピア81と呼ばれる博覧会が神戸で開催されました。

矢野さん(作詞は糸井重里さん)は、

この曲をポートピア81のテーマ曲として考えていたということで、

だから「ほ〜ら、春先 神戸に、見に来てね」と聞こえるようにしたということです。

実際にはゴダイゴの「ポートピア」がテーマ曲として採用されたようですが、

春咲小紅の話を聞いて、なかなかおもしろいなあと感じました。

 

閑話休題

生まれて初めてお金を払ってお茶を購入したのはポートピア81の会場でした。

缶入りのお茶でしたが、ものすごく違和感がありました。

当時、お茶にお金を払うという習慣がなく、

というか、おそらく缶やペットボトルで販売されているお茶を見ることがなかった。

お茶に商品価値があるってことを思っていませんでした。

それはおそらく私だけではなく、当時の人の常識だったのではないでしょうか?

いまや、どこかの水道局が水道水をペットボトルに詰めて販売していますから、

時代は変わったなあと実感します。

 

当時の感覚をなんて表現したらいいのでしょうか、

お茶にお金を払うのがもったいないというのではなく、

単に、お茶を金銭と引き換えるという感覚が全くなかったのです。

いや、少し違うなあ・・・・。

缶入りのジュースやコーヒーは、飲み終わってから缶をゴミとして捨てますよね。

この「捨てる」という行為に罪悪感とまでは言わないものの

なんだかほんの少しだけ後ろめたい気持ちがあったように思います。

だから、それに入れられてくるものには特別感というか、

普通の家では味わえないものだから仕方ないという感覚があったような気がするのです。

中身が特別から着せる洋服も特別って感じでしょうか。

だから、お茶という普通の家の代表選手のようなものが

似合わない洋服を着せられて壇上に上がっているような違和感があった訳です。

 

いまやペットボトル入りのお茶が主流です。

そして飲み終わったらゴミに出すことにも抵抗はありません。

この感覚が非常に恐ろしいと感じます。

賞味期限の切れた食品を簡単に捨ててしまう世界、

その世界に慣れてしまった自分、

これに気付いたときなんとも言えない不気味さを感じてしまうのです。