エクスタシー(続き)

今の手持ちの知識だけでも頭を使って考える事で

すなわち知識同士の関係性を考え直し並べ替えるだけで、

新しい発見はあると書いた。

 

その逆の話である。

過去の学生さんなんかを見ると、困ったらとにかく人に相談する人や、

あるいはいろんな本や最近ではネットなどで細切れの知識を蒐集するタイプの人がいる。

何となく知識のつまみ食いが簡単にできる「ネット世代」に多いのかな?とも思うが、

多分に偏見があるだろうからまったく主張するつもりは無い。

 

このタイプの人は、とにかくその時々の意見に引っ張られる。

いまの実験を我慢してする事ができない。

ちょっと失敗するとすぐに何かに頼ろうとするが、

それが腰を入れて勉強するのではないから、

表面的な知識や技術を鵜呑みにしてそれをしたがる。

いま自分が失敗しているのはこれが原因だ!などと

己の未熟さを棚の上にあげて布をかぶせてしまう。

そして、何の根拠もなくその方向に実験を「修正」する。

修正どころか、全く違う実験を始めるヤツもいる。

似非情報に振り回されて結局時間だけを無駄にする事が多いと感じる。

その行動パターンから明らかなのだが、考えるという事をしない。

ちらっと考えて分からなければ誰かに聞き回る。

あるいはネットに頼って勝手に結論を出す。

そして、それを理由もなく信じ込む。

そこに思考・思索が存在することはない。

「分からない事」イコール「知識が不足している事」と判断する傾向が強いようだ。

だから、足りていない知識を安易に追い求める。

 

逆に、データもないのにとにかくいろいろと夢想する学生もいる。

毎朝、昨日のデータを元に作り上げた妄想を聞かされる。

SF作家にでもなれそうな想像力の逞しさである。

毎日のように、乏しい知識を並び替えて新たな関係性を構築し続ける。

 

で、私が個人的に思うのは、

後者の学生の方が研究者に向いている。

謎解きの為にとにかく仮説を考え続ける態度が研究者に必要だと思うからである。

ただしこれには条件がある。

それは実験をする事だ。

多くの場合、このタイプの学生は実験をせずに夢を語る。

毎日、とにかく実験をしデータを出す事が何よりも重要であり、

そのデータを元に空想を逞しくする事こそが大切なのだろう。

実験はするが考えない人と、よく考えるが実験をしない人を比較した場合には、

経験から言って前者の方が伸びる。

考えるという習慣は、

日々の議論を通じてその方向を少し変えてやるだけで何とかなる場合が多いが、

実験をしない人に実験をさせるのは相当に困難であるからだ。

 

もちろん、ケース・バイ・ケースであるのでこれを一般論化するつもりは毛頭ない。

例外など掃いて捨てるほどある。

要は、たくさん実験をしつつ

しっかり考えるようにどうしたらなれるのかってことだろう。