スヌーズ

朝は携帯電話のアラームで目覚める。

ただ、私は五分五分で携帯電話に勝つ。

「勝つ」とは、アラームが鳴る前に起きることを言っている。

 

さて、アラームが鳴ったら止めるのだが、

その時に画面には「スヌーズ中」と表示される。

で、この「スヌーズ」のことについて考えてみる。

スヌーズとカタカナで表示されても最初はピンと来なかった。

しかし、すぐに「さらに何かの操作をしなければ再度アラームが鳴る」ことに気付く。

だから、「スヌーズ」という言葉の意味も

なんだかそう言ったことなのだろうと認識できる。

 

これが、「意味はア・プリオリに成立せず、その文脈によって規定される」と

これまで何度も言い続けていることである。

要するに「スヌーズ」という言葉と

それを指し示しているらしい状況を重ね合わせ、

そこに意味を見いだすということである。

ただ、このように一対一の関係だと意味を取り違える可能性はある。

実際に、日常的にも何かの意味をずっと誤解していることなんて

誰にだって経験があるはずだ。

次に「スヌーズ」を使う別の文脈に出会った時に、

今の理解ではその文脈の意味が通らない時に、

前回の状況(文脈)と今回の文脈の両者によって規定される

あたらしい意味を考えることとなる。

これが「意味」だろう。

 

この文章を書くにあたってスヌーズの意味を辞書で調べてみた。

すると「居眠り・うたた寝」の次に「スヌーズ機能の略」とあった。

で「スヌーズ機能」とは「再アラーム機能」とある。

だから、最初の意味付けは間違えてなかった訳だ。

ここで誤解されたくないのは、

「スヌーズ=再アラーム機能」という定義があってその意味が成立しているのではなく、

「スヌーズ」を用いる文脈や状況からその意味が規定されているということである。

この違いがなかなか理解されにくいようだ。

 

遺伝子の意味付けにも同様のことがある。

だからもちろん進化を論じる場合にも

その際の変異についてどう意味付けするのかということにもつながる。

一般には、キリンは高いところの餌を取ろうとして首が伸びたとされやすいが、

変異や遺伝子の意味を考えるとこの説明では無理があることに気付く。

何かに意味付けをすることはなかなかに難しいのだが、

どうしても心情的な意味付けをしてしまう傾向が人にはあるようだ。

そして、それを間違いだと言い切れないところにも科学の難しさがあるのだろう。