時間とは?

以前から考えていることに時間の周期性の問題がある。

端的に言えば「時間に繰り返しは必要なのだろうか?」ってことだ。

日々の時間経過を考えると何となく日常の変化を追っていれば

それが時間の経過に等しいような気はする。

 

しかし、その時間というものを表す尺度には

必ず周期性が必要である。

地球の自転がなければ日周期の概念はあり得ないし、

月という衛星がなければ「ひと月、ふた月」と表現はできない。

もちろん太陽がなければ年周期なんてものもない。

 

で、問題であるが、時間には周期性が必要なのか、

それとも周期性とはただの尺度にすぎないのかということである。

時間を測るには、メトロノームにしても振り子にしても、

水晶にしても周期を産み出すことで時間を刻む。

これがたまたまなのか、

それとも時間という概念を認識するのに周期性は必須なのか?

 

そもそも私たち生きものもさまざまな周期性を有している。

細胞周期なんて言葉がすぐに思い浮かぶが、

それ以外にも、親から子へ、子から孫へと個体発生を考えてみれば

これもまた周期的な現象であり、

個体発生の一周期が螺旋階段のように限りなく続く過程に進化が見え隠れする。

しかし進化は一度きりの出来事であるという立場から見れば、

時間とは一方向の流れにすぎないのかもしれないが、

しかし、およそ100億年といわれる惑星の一生の周期性の中に取り込まれている。

日々の無常の立場でみれば時間は繰り返さないが歴史の立場からは物事は繰り返す。

結局のところ、物事の持続性が成立しなければ時間は瞬間で終わるのだが、

物事を持続的に存続させるには繰り返しが必要ということになろうか?

そのなかで、時間という概念を我々がどのように認識するのかという問いかけなのかもしれない。

時間という概念がア・プリオリに存在することなく、

それを我々の脳がどのような過程で認識するのかを考えたとき、

時間認識には周期性が必要な気はどうしてもしてしまう。