政治家〜蛇足

今朝この欄に書いた内容は少々間違っていましたね。

知事選ではなく市長選の誤りでした。

申し訳ありません。

 

と、書いたついでに触れておくと、

私はネットを選挙に導入することやツイッターで選挙活動をすることの

是非を論じている訳ではありません。

ツイッターの有用性が認められれば将来的に利用できるようになるかもしれないし、

そのこと自体は時間をかけて議論を深めれば良いだけのことでしょう。

また、今回のツイッターを用いた選挙戦について

法律論を展開しようという気もありません。

そんな能力もないし・・・。

 

私が言いたいことは、法律の精神に照らした時に

今回の行為に問題はなかったのかってことです。

少なくとも、投票日当日の選挙活動はしてはならないことでしょう。

 

新しい技術に法律が追いつかないことはたくさんありますし、

法律の解釈によって逃げられるようなこともあるでしょうが、

でもね、その法律の文面の問題ではなく

その法律が制定された時の基本理念や精神が

それらの行為を良しとはしていないと感じるのです。

著作権法が制定された時にはレンタルショップなどまったく想定されていなかった。

だから、初めてレンタルレコード店が出現した時には大変な混乱がありました。

法律の文面からは違反ではないのですが、

著作権者の保護という法律の精神には明確に反しているのだから当然のことでしょう。

一般市民が法律の盲点を突くのは(個人的には明確に反対だが)百歩譲って仕方のないことかもしれません。

しかし、政治家たるものは、法律の文言を云々するのではなく

法律の成立精神や哲学を重んじて頂きたいのです。

 

東野圭吾氏が何かに書いていましたが、

この「精神論」から見れば新古書店の存在も問題があるようです。

「過去の巨人の本がいまだにずっと売れ続けているから、

その遺産で新人作家を育てることができる。

赤字を覚悟で出版し、出版し続けることでその作家を育てたいのだ」

みたいな意味合いの言葉を東野氏は駆け出し作家だった頃に出版社からいわれたそうです。

だから、書籍は正規に購入しない限り出版社には一銭も入らず、

したがって次世代の作家の芽を摘んでしまうということで、

となれば、目先の利益を求めて将来の大きな財産をなくしてしまっているとも言えると感じます。

新古書店のもう一つの大きな問題点に万引きがあります。

本屋で万引きした本を簡単に現金化できるという問題ですが、

このような犯罪をあげなくても新古書店の存在自体が出版業界、

ひいては我々の文化に及ぼす影響は計り知れないことでしょう。

だから、この問題にもし何らかの法律で対応するならば、

この基本精神に基づいて法は作成されなければならないし、

その運用はこの基本精神の上に立って飲み行なわれるべきだと思います。

 

言うても詮無きことなれど、少なくとも政治家たるものは

法解釈で逃げるような行為をするべきではないし、

物事の本質を直視して行動しなければならないと思います。

また、陣営の誰かがやったことというのも

それがたとえ事実であったとしても

政治家が口にしてはならない言葉でしょう。

 

よく、倫理観念が低くしかし能力のある政治家と、

高潔だが能力のない政治家のどちらが良い政治家なのかと問われます。

こう聞かれるとどちらかを指す自身はありません。

政治家とすれば能力が最優先だとも思いますし。

でも、やはりその人の持つ人間としての哲学は高潔であって欲しい。

これはもはや理想論すぎるのかな???