読書と学習

私は読書が好きです。

ただ、読書と言って普通に皆さんが思い浮かべるようなものではなく、

9割がミステリ小説で1割が思想哲学書です。

全く違う分野にも見えますが、

私にとったら割と近いというか、

脳に与えるカタルシスが同じようなものです。

 

一般論ですが、とりわけ小さい頃に読書をする意味は、

知識を増やすことへの貢献も多大であるし、

あるいは想像力や空想力を身につけるのに大きな意味を持つのでしょうが、

それよりも言語が構築する論理体系を習得することの方が

はるかに意義深いと感じます。

 

特に小学校では国語力のある子供は他の勉強の成績もいいらしいのですが、

これはある意味で当然とすら思えることだろうと思います。

言語による論理体系が脳の中に構築されているからこそ、

どのような論理にも対応できる訳です。

小学校の場合は特に、

算数と言っても数学的論理思考というよりは

国語的な読解力を数式を用いて試す問題が多いように思うし、

理科でも基本的には日本語的な理解を求める教科であると感じます。

だからこそ、主要教科の学力には国語力が決定的に必要であるという論理です。

高校以上の学校になると

思想・哲学や数学など他の論理体系が登場する訳ですから

国語力だけではすべてが決まらないでしょうが、

それでも論理の基礎となる日本語の能力がないと話にはならないように思います。

 

「なんかウゼエ」とか「だり〜し」とか言って

「もうぶちぶちにキレちゃった」みたいな会話をしていると、

論理力は身に付かないのだろうと思います。

やはり読書も重要だし、考えながら会話をすることも重要なのでしょう。

同様に表現力、例えば作文能力も論理力を鍛えるには大切で、

小学校では文章を作る教育をたくさんしてもらいたいと思います。

だから、自分たちの礎となる言語の教育無しに

外国語の教育を低年齢からさせることには個人的には反対で、

日本人としての正確な論理体系を脳の中に構築することが

初等教育では最も重要なのではないかなって思います

(この手の議論はことば論でも書いたような気がしますね)。

 

ただし、やはり一番重要なことは

もっと小さい頃からの家庭でのしつけや教育で

親が正しい日本語で語りかけること、

正しい日本語で書かれた本を読み聞かせること、

あるいは正しい日本語で問いかけ正しい日本語で答える訓練をすることが

まず第一に来るのだろうとは思っています。