西田幾多郎

これも7年以上前の文章です。

この頃の文章には実在の人物が登場する傾向があるようです。

ウチの本棚には科学書は少なく哲学・思想の本がほとんどです。

おそらくその内の何かを読んでいる時に感化されて書いたのでしょう。

 

「西田幾多郎」(2003,5,1)

京都大学のすぐ近く、

銀閣の横を流れる琵琶湖疎水沿いに 「哲学の小径」と呼ばれる通りがあり、

春には桜並木となって花見客が宴を開く場所ともなる。

この小径の名前は、 西田幾多郎に代表される京都学派の哲学者達が

思索を重ねながら歩いたことに由来する。

こう書くと、のんびりと散歩をしながら優雅に思索を巡らせたように感じるが、

実のところこれは誤りのようである。

「西田の思索のものすごさは、

たとえば午前のもっとも頭のさえたときを思索に使い、

額に脂汗を流して思索した」と梅原猛は言う。

梅原はさらに続けて戦後哲学者の怠慢を説く。

すなわち、西洋哲学の輸入と解説を生業とし、

自らの頭で考えることを禁じた哲学はもはや哲学ではないとするのである。

西田は世界の実相を絶対無を考えることによって問いかけ、

梅原はただひたすらに死を問いかけることを己の哲学とした違いはあれど、

二人とも思索に憑かれた。

ただひたすらに己の哲学を追い求めた。

学問の深さは全く比較にならないだろうが、

私たち生命科学を研究するものにとっても西田幾多郎の思索への執念は学ばなければならない。

生命科学の研究も、ただひたすらに世界の最先端の研究を追いかけることで優秀とされる。

しかしそこに独創性がない研究には何も見るべきものはないと言える。

国立遺伝学研究所の教授だった杉山勉は、

世界のトップを走っていた研究テーマを捨てて

非常に冒険的な新しい分野を開拓する研究へと移るときに言った。

「競争の激しい研究分野でしのぎを削るのはもういい。

たとえ私がその勝負に勝ったとしても、

それから数ヶ月で競争相手も同じ結果にたどり着くのだから、

科学の歴史にとればこの数ヶ月の差は誤差でしかない。

私は、私がやらなければ今後何十年も拓かれることのない荒野を切り開きたいのだ」と。

生きものは、遺伝子の情報が織りなす機械ではない。

生きものの形づくりは、非常にいい加減で、しかししなやかで、

そして最終的には辻褄が合うようにある意味では精密にできあがる。

これがどのような仕組みで成り立っているのか?それは誰も分からない。

新しい遺伝子がいくつ見つかっても

その遺伝子に意味づけをしようとする以上はこの質問に答えを出すことはできない。

そして、間違いなく今まで誰も考えなかった非常に高次の仕組みが、

それはおそらく分子と分子の物理的な相互作用という即物的な仕組みではない

想像だにできない新しい規則が見いだされなければ理解できないことなのかもしれない。

その仕組みを解き明かすには、

西田幾多郎が思索に憑かれ、

ときに警察にさえ怪しまれる様子で哲学の小径を歩き続けたような懸命な生きざまが、

私たち研究者に求められるのかもしれない。

研究者が持っている肩書きの一つである「博士号」は、

日本では理学博士や医学博士あるいは農学博士といった具合に

学問の領域によって区別されているが、

欧米では文系も理系も含めて「Ph.D.(哲学博士)」とひと言で称される。

研究の根幹には哲学が横たわっているという欧米の科学思想から生じた制度であろうが、

私も「哲学博士」の一人として偉大なる大先輩の姿態を学びゆかなくてはならない。