かたちとは何か?サッカー
サッカーを見て感心することがある。
ヨーロッパ辺りの一流の選手はシュートをする時に一切ゴールを見ないのである。
要するに、自分が全体のどこにいて、どの方向を向いているのか、
周囲の味方や敵がどの辺りにいるのか、それがいつも分かっているのであろう。
そう言えば野球の選手も打つ瞬間はバットとボールが当たるところしか見ていないし、
ゴルフの選手もそう感じる。
誰かが、運動は脳の作業だと言っていた。
スポーツって脳の機能からは最も離れた、本能的・直感的な感じがするのだが
実はそうではなく、脳の情報処理の最たるものが運動であるということらしい。
それはその通りだと理解できる。
運動それ自体もそうであろうが、
上記したように、その瞬間の自分の場所や向きの把握、
他の選手との位置関係などが脳の情報として存在し、
その中で自分のどの筋肉をどの程度どれくらいの早さで動かすかを
脳が判断することでサッカーというゲ−ムが成立するし
その能力が人並みはずれて高い時に名選手となるのだろう。
横山やすしの名言と同じように思うし、アドリブにも通じるものがあると思う。
こういうのを感じた時に「かたちだなあ」って思うのだが、
これをどれだけ共感して頂けるのだろうか・・・・?
その動作と言えば良いのでしょうか?分かる気がします。
友人に編み物の上手な人がいて、その人は本も見ずに素晴らしい速度で編み上げていきます。
職人さん達もそうですよね。長年仕事をしてきて、何千回、何万回と作業をしているうちに神業のような仕事をしてます。彼らの頭の中ではその動作が「かたち」を作られているんだろうなぁ。
達人ではなくとも、一度自転車に乗れたとして、それから何年も乗らずにいても難なく自転車に乗れたりするのも脳で動作がかたち造られているのではないのでしょうか?
もはや、上手に説明することから逃げているのですが、一つ一つを意味付けしてもまさに「意味がない」わけで、それらの全体が揃った時に、全体像としての意味が出現するってことをいいたいのです。で、この手の見方をし始めると、何を見ても「かたちだなあ」って思ってしまう。カール・ポパーが「科学には反証可能性が必要であり、何もかもを説明できるのは宗教だ」みたいなことを言っていたのですが、もはや私にとっての「かたち論」は宗教なのかも知れませんね。「かたち教」作るかな。