かたちとは何か?アドリブ

天才と称された漫才師の横山やすしが面白いことを言っていた。

「アドリブとは、勝手に口からついて出てくる言葉をしゃべるのと違う」と言ったのだが、

破天荒な天才だと思っていた彼の言葉だからこそ深い意味を感じる。

彼がいうのはこうだ。

「何度も何度も稽古をする。その中で一つのフレーズや掛け合いが身に付いてくる

その「身に付いたフレーズ」をどのタイミングで出すのかがアドリブや」。

まだ子供だったが私は何か身体がざわざわしたのを覚えている。

 

楽器でも指が勝手に動くのがアドリブだと思っていた。

天才にしかできないことだと思っていた。

しかし、やはり天才でも指は勝手には動かないそうだ。

それまで何十曲、何百曲、何千曲と自分のものにして、

指が勝手に動くくらいまでに習得した時に、

その中の一つのフレーズや一つのリズム、瞬間的な指の動きを別の場所で

まさにとっさに、何を考えることもなく演奏できることがアドリブなのだと言う。

だから、とっさに話を作る才能とか、とっさに全く新しい曲やリズムを作る才能ではなく、

アドリブの才能とは、無意識のうちに自分が持っているものを

どのタイミングでどの曲調に合わせて飛び出させるのかを

瞬時に選択する能力のことでしかないのだろう。

ダンスでも、様々な踊り方は死にものぐるいで練習をし、体得しているわけで、

これをあとはどのように結びつけ、どのように組み合わせるのかが

その人のセンスであり才能であるということらしい。

 

そう考えると合点がいくのは、

話し言葉を考えながら口から発することはできないということである。

いま書いているこの文章も、平仮名一つ一つを考えながら拾っているわけではない。

というより、そのようなかき方で文章は書けない。

何かを話す時でも、「何かを話す」という言葉は考えずにスッと出てくる。

それは、物心がつく前から何度も何度も見聞きし何度も何度も話し読んでいる言葉なので、

それが(その言葉や音の組み合わせが)、自然と口をついて出てくる。

その次に続く言葉も特には考えて発してはいない。

どこかで会得した言葉の中から、前の言葉と相性のいいものを瞬時に判断し、

また、自分のその時に感じている事柄に最も近いものを無意識に選んでいるにすぎない。

話し上手な人とは、そのような選択肢をたくさん持ち、

またそれらを最も効果的に組み合わせる能力を持った人なのだろう。

 

かたちを考察する場合に、「形なきものの形」として音楽や言葉も扱われるのは

このように考えただけでも私にはとても納得できる。