刺激
私が小さい頃、たしか麻疹・水疱瘡・おたふく風邪・風疹などは一度かかると二度とかからないと聞いた記憶がある。だから、お母さんたちは「〇〇ちゃんはもうおたふく風邪にかかった?うちはまだやねん」という会話をしていたし、その会話の意味は「まだかかっていないことを危惧する(かかることを望んでいる)」ように子どもには感じさせられるものだった。「風疹などは大人になってかかったら大変や」みたいな具体的な話もあったように思う。
話変わって、水疱瘡と帯状疱疹が同じウイルスだと知った。ということは、子供の頃にいちど水疱瘡にかかっても、大人になって再度感染するじゃないか!話が違うぞ!!まあ、水疱瘡ウイルスは細胞内に潜伏して免疫が弱ってきた時に動き出すいわゆる日和見ウイルスだから「再感染」という言葉は不正確かもしれない。だから、一定の年齢を過ぎたらワクチンを打つことが有効であるとされる。この議論の際に生活習慣の話が出てきた。昔の親子孫の三代、あるいはひ孫まで加わった四代が一緒に暮らしていたときには、とにかく子供があらゆる病原菌やウイルスを持って帰ってきた。その都度、一緒に生活している大人もその病原体にさらされることで新たに免疫を獲得、あるいはその病原体に対する免疫を「再強化」してきたという議論である。だから、3世代・4世代同居の家庭では、25年に一度くらいの周期であらゆるワクチンをあらためて打っていることとなる。
子供は基本的に免疫がない。だから、小さい頃にはありとあらゆる病原体に感染する。周囲の誰かからもらったり、手に小さい傷がたくさんついている状態での泥遊びの中でさまざまなものに感染する。泥だらけの汚い手で物を食べたりもする。似たようなことは以前にも書いたのだが、そんな中で耐性を身につけていくし、正しい免疫系が構築されていく。ということで、小さい子供は大人にとっての巨大な感染源である。よく聞く話では、小さな子供を持つ家庭では、まず子供がさまざまな病気をどこかからもらってきて、それが親にうつる。これが、大人にとって天然のワクチンになっているのではないのかという議論である。理屈だけ見れば、この考え方は十分に納得できる。大人にとっては過去に出会ったことがある病原体も子どもにとっては初対面であるから簡単に感染する。感染すれば子供の体内でその病原体は増殖する。日常的に、大人には感染できない程度の低濃度で周囲に存在する病原体も、子供の体で増幅されれば大人にとっても感染源になろう。そこで発症するか、それとも過去に獲得している免疫で退治できるのかは個人差もあろうが、とにかく定期的に感染源に体はさらされる。これが重要なのではないか。
関連して思うことは、脳に対する刺激である。免疫系も20〜30年に一度刺激を受けてリセットされるように、子供と関わることで脳も大きな刺激を受けることは間違いない。大人と比べたら子供の行動は予測不能である。それに対応していかなければならない。何をするかわからない子どもにいちいち対処することでとにかく脳を使っていると考えてもあながち間違いではないのではなかろうか。周囲の大人が関心を払うことで子供の安全が守られているから、大人は子供の一挙一動に常に関心を払い続けていなければならない。言葉を覚える過程でも、話し始めの過程でも、幼稚園や保育所に行き始めてさまざまなことを経験して帰ってきた子供はとにかく話をするだろう。まだまだ言葉は不正確だし、語彙も表現能力も発達途上にある。だから、同じ話を何度もするだろうし、訳のわからない話になったりもするだろう。こういう日常の一つ一つが免疫系に対しても脳に対しても大きな刺激を与えていることはほぼ間違い無いと、個人的に、思う。
退職して感じるのは日々の刺激のなさである。やりたいことがやれているし、毎日充実して楽しい。読書や思索である程度は脳にも刺激を与えているのだろう。ただ、やりたく無いことは避けてしまう。上に書いたように、子供と一緒に暮らすとこちらの希望や意思には関係なくあらゆる行動を強いられる。予測不可能な状況に晒される。こういう環境がいまない。テレビは受動的であり読書は能動的であると一般に言われるし、それはある程度はその通りなのだと思うのだが、読書にしても情報を受ける側が理解したいように理解している。これまた以前にも書いたのだが、私などは、自分の考えを進めるために読書する傾向があるので、思考はある決まった空間の中に閉ざされる。だから、読書から新しい世界を構築するような能動性はない。要するに自分の欲しい情報を取り出すために読書している傾向が強いので、脳を刺激することに全くならないのだ。「このままでは近いうちにボケるなあ」と真面目に思っている。
刺激が必要という流れで思いはホルミシスに至る。戦後、広島に落とされた原爆の影響を調査した時の話。爆心地から同心円を描いて白血病など放射線が原因になりうる病気の発症率を調べたところ、周囲の環境よりは有意に高い放射線を浴びたであろう地域の人のたとえば白血病の発症率が低かったそうである。放射線ホルミシスの第一人者、近藤宗平さんから以前に伺った。もし放射線が全て体に悪いのであれば、ラドン温泉なんて存在できない。さらには、我々の周囲には自然放射線が日常的に出ている。日常的にさまざまなところを刺激することで体がリセットされているのだろう。また、野菜が体に良いということは周知の事実(常識)としてとらえられているが、その理由として「野菜が持つ微量毒素」が体に良いという説が最近唱えられていると聞く。M.P.マトソン博士の説である。そういえば、つい最近も山に入って春の野草を取ってきたのだが、山菜にはアクがある。学生の頃に山菜の天ぷらを食べ過ぎてアクにあたってしまい夜中にのたうちまわったことがあるのだが、この「アク」もたくさんとればおそらく体に良いことはないある意味では「毒」なのだろうが、それでも季節のものを食べれば長生きするというのも昔から言われていることで、このアクも微量毒素として体にいい刺激を与えているのかもしれない。過去にはマウスにわからない程度の低濃度でクロロホルムを混ぜた水を与え続けたところ、水だけで飼育したマウスよりも長生きしたとの報告もあったように記憶しているし、大量になると「毒」なのだが、微量だと「薬」になるのだろうか。まあ、逆に考えれば、塩でも砂糖でもマグネシウムでもカリウムでも、体に必要な栄養も大量にとれば毒になるわけで、「毒」の概念も、質的ではなく量的なところに行き着くのかもしれない。「酒は百薬の長」っていうし・・・。こう考えると、「子供」も「微量毒素」ととらえてもいいのかもしれないな。