地獄の黙示録
昨日は風呂で汗をかこうと、「史上最大の作戦」と「地獄の黙示録」を見ながら半身浴した。「史上最大の作戦」はこの映画だけではあまり面白くない。終わり方が関西でいうところの「オチがない」だ。いまだから感じる、この中途半端な終わり方は昔の映画にはよく観られる。最も印象が残っているのは「禁じられた遊び」だ。「長いイントロが終わって、そろそろ本番か」と思っていたらFinと出た。一人で見ていたのだが、思わず「なんでやねん!」と大きな声が出た。さて、「史上最大の作戦」である。Dデイ以降で言っても「パットン」とか「遠すぎた橋」や「ライアン二等兵」など、あるいは「バルジの戦い」などをみて知識を補足し繋げながら見ると、それぞれのが表す意味がわかってくるから、単発で見る映画ではないのかもしれないな。あるいは、この映画が上映された時代にはその背景的な知識が常識だったからこれで良かったのかもしれない。
で、「地獄の〜」の方である。確か高校生の頃に映画館まで観に行ったように思うのだが、昨日見直した感想は「あれ、こんな映画だっけ?」だった。もっと混沌した映画だったように思っていたのだが、割と整頓されているように感じた。「哲学的」と評されることもある映画だが、個人的には「衒学的」だったかな。伝えたいことの深さが感じられず、普通のことをわざと難しく話していたに過ぎないと感じた。まあ、私が深いところを理解できていないだけなのだろうが。ベトナム戦争の映画はそれほど見た記憶はない。プラトーンとかキリングフィールドくらいの印象しかない。だから、この映画の立ち位置が今ひとつ見えないのも理解でききれていない一つの原因なのかもしれない。ただ、私が生きた時代なので、映画以外の知識はある。基本的にはアメリカから出てきた報道なので、多くは偏向したものなのだろうが、報道でも頻繁に見聞きしたし、朝日新聞の本多勝一記者の記事はよく読んだ。ウッドストックに代表される音楽の社会でもベトナム戦争をテーマにした物がたくさんあったし、ビリー=ジョエルの「ナイロンカーテン」などは、なんとなく「地獄の〜」に重なって聞こえる。これらアメリカの視点からの表現になるのだが、ベトナム側の視点からの映画はあるのだろうか?あったら観てみたいな。