国語力

トクリュウ型特殊詐欺のリクルーターがテレビで話していた内容だが、「日本語の読解力のない人間は簡単に騙せる」とのこと。それを聞いて「当たり前やん」と思ったし、だから小学生から国語力、特に表現能力をつけさせなければならないと常々私は言っている。国語力とは作文能力である。自分が感じたことを的確に表現する力がなければ言葉を理解することなどできるはずがない。以前にも書いたが、小学校では作文能力を身につけるべきだし、中学校からは論理力を養うためにも理科をしっかりと学ぶべきだと思っている。ただし、ここで言う理科とは単なる暗記ではない。あくまでも論理的に考える力を養う内容でなければならない。まあ、そのためには最低限の知識が必要となるだろうから、暗記を全否定するつもりはないのだが、暗記が目的となっては困る。「暗記が目的となる」とは「暗記していることを大学入試で問うこと」に等しい。だからこそ、読解力を試す試験問題が出されなければならないのだが、これは教員(大学入試であれば大学教員)の質に依存する。もちろんその教育のためには中高の教員の質も高くなければならない。この辺りに難しさがあるのだと思うが最優先でやらなければならないことでもある。

そして、このように国語力と論理力を高めることで、被害者加害者を問わず詐欺被害に巻き込まれないようになる確率が上がることになる。こんな非日常なこと以外に、日常生活のあらゆる局面に理解力と論理力は必須なのである。問題は、これらの教育には教員の質が求められる。表現力や作文能力を育てられる教員がどれだけいるのだろう?論理的に考える力を伸ばせる教員がどれだけいるのだろう?これは教員の責任だとは思わない。なぜなら、その教員がこのような教育を受けてこなかったからである。こう考えるとなんだか絶望的な気持ちになる。