まだまだ若いなあ・・・
誰かを見たとき「まだ若いなあ」と感じることありませんか?
私は、自分が「若い」時にこう感じることがよくありました。
今でもそれほど変わっていませんが若い時は本当に無知でした。
読書などから新しい知識が入って、それまでの価値観が揺れ動いた時に、
友達や後輩が以前の私の価値観と同じことを話そうものなら
「まだまだこいつは若い。物事の本質を知らない」などと偉そうに感じていました。
経験を積むと、価値観が正反対に変わる瞬間が誰にでもよくあることと思います。
さて、もう少し大人になると、その逆転も起こることを経験します。
たとえば、擬態などで花そっくりに化けている昆虫などを見て
最初は「見つかりにくいように化けているのだなあ」と思っていました。
ある時に「人以外の動物は人の眼とはまったく異なるようにしか見えないので
我々が似ていると思っていることも実は似ていないのだ」という意見を聞き
「なるほどその通りだ、擬態を見て似ていいると考える奴らはまだまだ子供だ」などと考えます。
しかし「眼の構造はそうかもしれないが、でもこれだけ似せてかたちを作っているとしたら
それ自体に意味がなければならないし、
だからこそ昆虫やその他の捕食者の眼にも似ていると映っているはずである」と聞かされ、
「なるほど、その通り!」と思ってしまうのです。
だから、最初の段階の私を二段目の段階の私が見たら「子供だなあ」と感じるでしょうが、
二段目の段階の私を最後の段階の私が見たら「子供だなあ」と感じる訳です。
しかし、最初の私と最後の私は表面的には同じことを言っている訳で
だから、二段目の私が最後の私を見て「子供だなあ」と思う可能性もある。
自分よりも経験があり、深く考えている人を見下してしまう可能性があるということは
議論を生業としている私たち研究者にとっては怖いことなのです。
この例は実は正確ではありませんので、そのこと自体を議論されたら困るのですが
実際に、その時の自分の価値観だけに頼った判断では大切なものを見誤ると感じます。
その時に、相手の話が表面的に自分がたどって来た過程に似ているとき
どうしても「上から目線」になりがちであることが議論の上では非常に怖いと感じます。
自分がまだ経験していないことを相手は経験した上で話しているのかもしれない。
しかし、それを経験していないからその価値観を理解できない。
理解できないものを反射的に否定してしまう。
これらにはいつも気をつけておかなければならないといつも思っているのですが
言うは易し行なうは難しですね・・・・精進せねば。
色々なことを知れば知るほど、また経験すればするほど、断定的に何かを言ったり、本質的なことを口にすることがためらわれ、言葉が少なくなるような気がします。だから言葉にすることの怖さや難しさを知った上で、相手の立場も踏まえながら自分の意見を伝えることができる人は本当にすごいなと思います。
また色々な価値観を受け入れることや、経験していないことを想像力を働かせて理解することも本当に難しいと思います。それで「自分の知らない世界」を素直に受け入れることができる人や、そうしようと努力している人を見ると、「大人だな、賢いな」と思ってしまいます。
これほど深いことではなくても実は似たようなことって経験しますよね。
先日、革ジャンの布(ニット)の部分の修理先を探していました。革専門店にことごとく断られた後に、知り合いの知り合い(この辺りが怪しい)に見てもらったら「これくらいすぐに直せる」みたいな話になりました。でも、少し慎重にとこれまでの対応から個人的には信頼している革専門店に持っていったら、いくつか納得できる理由を挙げた上で普通には直せるものではないと言われました。で仕方なく、時間もお金もかかる方法で直すことにしました(って、要は買ったところに持っていっただけなのですが、有名ブランド店なのでとても高いのですよ)。
何が言いたいか、それは、その「知り合いの知り合い」がどのレベルで「簡単に直せる」と請け負ったのか??ってことです。専門家が見て「難しい」と判断したところを理解した上で「直せる」と判断したのか?それともそんな問題すら気付かずに、普通の布製品と同じ感覚で「直せる」と思っただけで、やり初めてぼろぼろになってしまうのか?です。その方は「隠れた名人」なのかもしれません。でも、状況から勝手に判断すると、本質的な問題をまったく理解できていなかっただけのように感じてしまいます。どうなのでしょう???