コーヒー2

コーヒーの味はまったくわからないと先日書いた。しかし、不味い淹れ方はわかるような気がする。すごく初期の頃、フィルター交換が面倒くさくて、前に入れたコーヒーがらの上から新しい豆を入れてコーヒーを飲むことがあった。まあ、これが不味いのだ。もうコーヒー自体の味はほとんどないがエグ味など「不純な香味」が残っているコーヒーがら(出がらし)から嫌な香りや味が出てくるのだから、そこに新しいコーヒー豆を足しても美味しくなるはずはないのだろう。緑茶で考えたら普通に理解できるべきだった。

そう考えてみると、コーヒーは1杯分、多くても2杯分を入れるのが美味しいこととならないだろうか?コーヒー豆をすくうスプーン一杯分がカップ1杯分だとして、二人分ならスプーン2杯、三人分ならスプーン3杯となり、それに応じてお湯の量も増えることとなる。ということは、1杯分の豆を一人分のお湯で淹れるのであれば、良い味や香りだけが抽出された美味しいコーヒーを淹れることができるが、仮に4杯分のお湯でコーヒーを淹れると、美味しい味や香りは最初の1〜2杯分のお湯で抽出され、その後の2杯のお湯がエグ味を抽出することになるだろうと考えるのは自然のことだろう。そういえば、学生時代に同じ研究室の友人がコーヒーを淹れようとしている時に「あ、俺もお願い」と言ったところ、「ええっ、1杯淹れるから美味しいのに」と言われたことを思い出した。その時は「なんで?」と思ったのだが、あの友人は飲みたい時に一杯ずつ丁寧に淹れた「美味しい」コーヒーを飲みたかったんだろうな。なんか悪いことをしたなと30年以上経ってから思う。

水出しコーヒーが美味しいと感じるのも、お湯で強制的に抽出される変な苦味やエグ味が水では出てきにくいからなのかもしれない。だって、コーヒー豆を一晩水につけておいても甘いままの美味しいコーヒーができるのだから。