連続?不連続?

進化を連続的にどこまで考えられるのかについてかなり疑問を持っています。

論理的な疑問というよりは、ゲノムのかたちから見た感覚的な疑問だろうと思います。

たとえば脊椎動物の中で進化を考えたら連続的な考え方で大丈夫だと思います。

では、脊索動物門の中ではどうでしょうか?

ホヤから魚への進化を連続的に考えて研究されている方はいます。

しかし、いくつかの発生現象を見ると原索動物から脊椎動物へと至る時に

連続的な変化で説明が出来そうな気がしないのです。

もちろんある意味では連続的なのですが

ダーウィンのいうような「連続性」がどうも適用できないように感じられてならない。

 

まあ、まだ脊索動物門の中はまだ許せるかもしれませんが

門を超えて進化を論ずる時にどれだけ連続性が許されるのでしょうか???

これはおそらくカンブリア爆発の議論にもなってくるのだろうと思いますので

軽々に論じることは出来ませんが、

これは以前から申し上げているように、脊椎動物にかなり進化的には近い原索動物であっても

ホヤの研究から脊椎動物を理解するにはかなり無理があるように感じられます。

いや、キリンさえ多くの変異が同時に獲得されなければ首を伸ばすことは出来なかった訳で、

ここにも見た目の連続性はあっても進化の原動力であるゲノムの変異を見たら

直線的な連続性をどうしても感じられないのです。

だから、門を超えてその連続性をどこまで議論できるのでしょうか???

 

以前に申し上げたと思いますが「多形と淘汰」の議論は非常に分かりやすいのですが

研究者の立場での「恣意性」がたぶんに入る余地があります。

だから、恣意的に論じていけばバクテリアから人まで何でもこの論理で作ることが出来るのです。

この辺りにどうも生理的な嫌悪感を持ってしまいます。

科学者としてはマズいことだろうと思いますが、どうしようもないことかもしれません。

 

こんな文章を専門家が読めば私は袋だたきにあうのだろうなあああ。

恐ろしい・・・・。