ホヤの原腸形成2

先日、ホヤの原腸形成について書いた。その後、メールで何回かホヤの原腸形成について高鳥さんとやりとりした。「絵」のことなのでなかなか文章では議論しにくいのだが、下手な日本語で頑張って伝える努力をしている。

現役時代などはまさにそうだったのだが、なにか「問い」がある時に私は無意識下でいろいろと考え続けているようである。夢の中でアイデアを思いついたことも数十回以上経験している。何も考えていないつもりでも、ジグソーパズルのピースが入る場所をずっと探し続けているのだろうと思う。「かたち論」的に考えても、何か単一のアイデアが思い浮かぶのではなく、これまでの「かたち」を全体的に組み換えることでしか見えてこない全体があるわけで、これまでのモデルでは説明できないとしたら、モデルそのものを組み換えて再構築する必要がある。そういうことを無意識下で行なっているのだろうと思っているわけだ。「こういう視点でホヤの初期発生を見たらどうだろう?」と考える。すると、「これまでこう言われていたけれど、この点はもしかしたらこう考えられるのではないか?」という仮説が立てられる。自分自身で検証できないので、こういう妄想を思いついた時に高鳥さんにお伝えしている。彼にとったら迷惑なことだろうと思うが、隠居して暇にしているので、老後の楽しみとしてお許し願いたい。

研究室にいてポスドクや学生と日常的に接することができた時には、昨夜夢に見たことを通勤途中で整理し直して相手に伝えることをよくやっていた。「あのさあ、〇〇のことやけど、こういう風に考えたらどうなると思う?」などといった漠とした話を朝からいきなり振られるわけである。体系的なアイデアが生まれることはそれほどあるわけではないので、なんとも定まらないけれど、二ぢに刺さった魚の骨のように気になっている漠然とした疑問とか、時には重箱の隅をつつくような疑問や仮説を伝えることで議論をするわけである。これが楽しかった。で、いまは直接議論することが物理的に制限されているので、どうしてもメールでの議論になる。だから、ある程度、文章にできるようにならないと相手に伝えることができない。顔を見ながら話すことができれば、夢の中で見た「何か」をごちゃごちゃと話すことで相手に理解してもらうということもできるのだが、離れていてはそれができない。この辺りが、自分自身の文才のなさと共に、欲求不満が溜まるとこでもある。できたら3〜4ヶ月に一度くらい、じっくりと顔を合わせて議論したいのだが、ちょっと距離があり過ぎるなぁ。

まあ、こんな風に議論を繰り返し、そこに妄想を重ねることで、現時点で、「この点をこう考えたらホヤの原腸形成はカエルと同じだと考えられる」という景色が見えてきたようにも思う。今は、「もしそうなら、ここはこうであるはずだ」という仮説を検証しているところで、もちろん、検証結果が予想(期待)と違えば、「なるほど、だったらこう考えたら良いかもしれない」という新しいアイデアにもなるのでそれはそれで楽しみにである。なんにしても、いままではホヤの原腸形成についてまったく理解できていなかったのだが、いまでは少し理解できているような気になっている(まったくの誤解かもしれませんが・・・)。なんにしても、こちら側の理解とホヤ側の理解をすり合わせることによって、新しい絵が描けるのだと思っている。多様性の中に存在する普遍性が見えてきたのだとしたら面白いと思っている。