知恵3
近年の科学の世界も同様かもしれない。聖域である「科学論文」にも意図的な捏造が行なわれる。それも、以前なら科学者によって検証され、淘汰されていったものが、近年の膨大な論文数から誰の目にも触れない論文の数が増加した。だから、明らかな捏造論文ですら、科学者に見出される機会は減ったし、内容について詳細に検証されることはほぼなくなった。科学社会による淘汰圧が決定的に低下したのである。バレないから、科学者が目先の職や研究費の獲得、あるいは名声のために意図的な捏造論文の作成を始めた。これはかなり重大な問題であり、捏造論文のために間違った方向性で研究を行なう研究者が出てきたり、あるいは正しい結果が似非データのために否定されたり、科学の停滞ではなく逆行が始まってきている。「科学の進展は10年遅れた」とは何かにつけて昔から言われることばであるが、今では捏造論文のために「科学は10年(あるいはそれ以上)時間を戻した」というしかない。
西洋科学の根底に、「人間は(他の生物よりも)偉い」とか「白人の方が(有色人種よりも)優れている」という無意識な思考(先入観)が存在するのは事実だと感じている。ノーベル賞を受賞したDNA構造の発見者が「黒人は白人より能力的に劣っている」と真面目な場で発言していたし。そういう偏向的な思考が本質を見誤らせているような気がする。人間は、理由の有無に関わらず、精神性というか独自の思想信条や倫理観・宗教観に根差した先入観が思考する上で大きな影響を持つ。しかし、おそらくAIにはこのような先入観はない。あるとすればそれはデータベースの中で大きな割合を占める意見のみだろう。そこには変更した先入観を持つ人間の意見もあろうが、人間の先入観は上下左右様々であろうから、AIにとっては思考の根底に流れる「常識」にはなり得ないだろう。こう考えたら、人間には「知恵」があってAIより優れているという論理はちょっと違うかな?と感じる。
まあ、上では白人の偏向について書いたが、それは白人に限らない。外国の科学者がAIの危険性を何度も述べているわけで、それを日本人は仏教的な観念から否定する傾向があるとも聞く。日本人特有の精神性も一つの先入観とも言えるわけで、むしろ日本人の方が「人間」に対する盲目的な信頼を置いているのかもしれない。ちょっと、「知恵」について考えようと書き始めた文章が、全く違う方向に流れてしまった。文字にすると過激なことを書いているかもしれないが、いつもどおりここに書かれている内容は、ど素人の一意見にすぎない。書きたかったことは、生物の進化、遺伝子のあらゆる組み合わせとその成立の可能性のせめぎ合い、と我々の思考、すなわち「知恵」「創造」についてである。