発音とアクセント

昨日の「おおきにの問題(?)」だが、「ぉきに」でも「ぉきに」でも日本語では通じる。これまた文字ではまったく表現できないが、「橋の端を箸を持って渡る」を関西人と関東人が発音したら、「よくぞここまで反対に発音できるものだ」と思えるくらいに違う。それでも日本語では普通に通じる。

外国語をひとまとめにしていいのかわからないのだが、多くの外国語ではアクセントが重要視されている。だから、英語などではアクセントが違うと伝わらない。この話になると、そこそこ笑えるいろんな話題を提供できるのだが、いかんせん文章でアクセントの話題を書けないので、どうしても飲み屋での笑い話で終わる。中学の時だったか、ある挿話が教科書か補助教材に載っていた。イギリスでWest Kengington駅に行きたいのだが、「ウエストケンジングトン」と発音したら通じなかった。もうどうにでもなれとばかりに「上杉謙信」と言ったら通じたというもの。これはいくらなんでも作り話だろうとは思うものの、伝えたいことはわからないでもない。英語では、その単語のストレスがある場所とそこの発音が正しければ他の部分の発音は少々違っていても通じるのだが、ストレスの場所が違えば、たとえ「発音」が正確であったとしても通じない(これは共通語の発声の話なので、もしかしたら異なる場所にストレスを置く方言があるかもしれない。その場合は、West Kengingtonには行けないだろうなぁ)。

で、少し疑問に感じるのは「歌詞」である。いろいろとあるのだろうが、例えば松田聖子の「赤いスイートピー」にある”I will follow you”だ。耳で聞くと絶対にこの英語は頭に浮かばない。歌では「フォ」にストレスがあるのに対して、英語のfollowは「ロ」あるいはその後の「オウ」にストレスがある。同じことは、かなり以前のテレビCMにあった。どこのコマーシャルかも覚えていないが、英語がまったくできない設定の人が英語を話せるようになって皆から称賛されるというものだったから、英会話教室のCMだったかもしれない。そのCM中で、主人公は「アイ アグリー」と言った。その「文脈」から「私も同意見です」という意味の”I agree.”と言いたかったのだろうと思ったのだが、発音から文字を起こせば” I ugly”となる(それはそれで面白いが)。要は、ストレスの場所がまったく逆なのである。これは「絶対に」通じない。これをテレビで流すことを認めたことに驚愕すらする。