イタメシ
最近は「言葉の意味」について書き続けている。今回は「意味」の話ではない。
「ことば論」にも書いたが、親しい友人に語る時にはイタリア料理のことを「イタメシ」と私は呼ぶ。バブルの頃の懐かしい呼び名だ。いまの若者はまったく知らないだろうと思う。いま「イタ車」のように使われる「イタ」ではない。普通の会話では「イタメシ」とは言わず「イタリア料理」と発する。決して「イタリアン」とは言わない。もちろん「フレンチ」などとは口が裂けても言いたくない。最近ではエビデンスとか、ほとんど一部の専門家以外しか使わなかった言葉すら日常的に使われている。言語植民地主義と誰かが言っていたが、なぜここまで日本語が英語に侵食されているのかわからない。「イタリアン」や「フレンチ」という人は、和食を「ジャパニーズ」中華を「チャイニーズ」となぜ言わないのだろう?