嘘八百含めて

報道やネットには、兵庫県知事の一番最初に問題となった発言では「事実無根の内容が多々含まれている」「嘘八百含めて」と言っているから、裁判になったときに『全部が事実無根・嘘とは言っていませんよ』と抜け道を用意している、との議論がある。これはそのとおりなのだろうと思うのだが、個人的にはこの知事の発言は自ら墓穴を掘っているようにしか思えない。

だって、全部が事実無根であるのなら公益通報性がないという理屈も通るのかもしれないが、「多々含まれる」と言ってしまっているので、「事実も含まれている」とご自身で認めていることになる。「嘘八百が含まれる」ということは、「嘘八百が含まれない記載もある」という理屈になる。

この次点で、この告発が公益通報に当たることをご自身で認めてしまっている。論理的には、少しでも事実をだと思われる記載があれば、他の部分が事実誤認だったとしても公益通報としての調査対象になるべきである。ネットやテレビでこういう議論が全く見られないってことは、私の理屈がおかしいのかなあ?

と、いろいろと考えてきて、なぜこんなにこの件について気になり続けているのだろうか?と考えてみた。たぶん、論理に全く反する理屈(私にとっては全く理屈にもなっていないのだが)が果てしなく展開されている状況が、論理至上主義の(理屈に合わないことが嫌いな)私にとって理解不能とでも言おうか、なんだか怖いもの見たさのような感覚でいるのかもしれない。ここまで無茶苦茶な議論が展開されているのに、どうしてこんな屁理屈にもならない答えが罷り通るのか?ツッコミどころが満載なのに、どうしてそこを突っ込まないのか?こういう、私にとっての理不尽なことが気持ちのどこにも落とし込めなくて、普段の私はそういうことになったら「こいつと話していても時間の無駄や」と逃げるのに、毎日毎日、読書や思索に疲れた(飽きた)時にふとテレビをつけたりネットをぼーっと眺めているとき(とはいうものの何かを検索するのではなく、ただYahooのトップニュースを斜め読みするくらいなのだが)、目から耳からこの情報が入ってきて、いやでも脳みそにぶち込まれてくる。思考(論理)が乱されてイライラしている現状に困惑しているのだろうか。