広島県私立学校教育研修集会 おわりました

以下の文章中で、二つの意味で問題という単語が使われています。両者の違いを明確にするために、作問によって作られた問題をカッコ付きで「問題」とし、一般的な意味での問題(「このやり方には問題がある」のような使われ方をするもの)をカッコなしで問題と表記します。

さて、同じテーマで3回目でしたが、今回は少し毛色が違っていたように感じました。これまでは文字通り「問題を作ること」に主眼が置かれていたのですが、今回は参加された先生方の理解や興味が中心に置かれていました。なので、明確な正解のない(今後実験してみないと答えが出せない)「問題」が少なからず作られていました。これは面白い!と素直に思いました。特に、純粋な疑問から生まれた「問題」は、そこから論理的な議論が展開できると思えるものの集まりで、先生方と、あるいは生徒さんも巻き込んで論理を構築できそうでした。その意味で、時間が足りなすぎました。

そこで提案された「ある問題」について本質的な議論をしようとします。これは先生方も含めてとても興味深い議論ができると思いますが、それだけでもおそらく1時間くらいは必要でしょう。もちろん、この議論の流れの中でさまざまな枝分かれが生じます。それらも含めて議論を展開すればものすごく面白いものになることは間違いないと思っていますが、そのためには半日くらいは必要でしょう。もうひとつあります。一つの「問題」を議論することでもそれだけの時間が必要というのに、そのように議論を進めたら面白くなるであろう興味深い論点は複数あります。おそらく班の数だけ、あるいは参加者の数だけあるでしょう。それらを網羅的に議論するのはもう絶望的だと感じます。

今回は、形だけの「作問」を目的としませんでした。むしろ、「作問するために注目するところ」を見出すことに注意を払おうと考えました。ありがちな「セミナー」や「講習会」などのように、「リード文の書き方」とか「問題の作成例」とかの技術を教えるものでは何も変わらないと考えたからで、生物(学)の一番面白いところをどのように見出すのか、どのように理解してもらえるのかを考えて作問していただきたいと考えました。だから、上にあげた問題が生じることは必然だったのだろうと思います。でも、一番面白いところで時間切れとなったのは本当に残念で、少なくともあと1時間、どれか一つでもいいから「問題」を例に挙げて皆で議論できてたら面白かっただろうなあとも思っています。

発生学はどうしても「遺伝子発現」の議論に陥りがちです。あるいは成長因子の濃度勾配とかいった「機構論」で分かったような気にさせられますが、実際には進化と深い関係性があって、その辺りの議論に持ち込めそうな「議論のタネ」が参加者の発表からいくつも見つけられました。この辺りを次回の改善点にできたらいいなあとぼーっと思っていますが、特に時間的な問題はこちらではどうすることもできませんのでなかなか難しいですね。