〜なあ
関西弁の話である。関西に住む小さい子供は話をするときに、「ほんでなあ」「だからなあ」を多用する。「今日なあ、京子ちゃんがなあ、積み木でなあ、遊んでたらなあ、えっと、だからなあ、壊してもてん」というような言葉を発する。少し大きくなった子供は、「マジか」「地獄やん」などといった同じ言葉を会話の中で多用する。
なぜ大人になると普通に話せるようになるのか?これは間違いなく「文章を覚えるから」だろう。「文章を作れるようになったから」では決してないはずだ。この状況を表現する文章を覚えるから、その状況に直面した時にそれを正しく表現できる。その時に作文をしていたら間に合わない。小さな子供は文章を覚えるに至っていない。だから、覚えたばかりの短い文章や単語を並べるのだが、その間に「ほんでなあ」が挟まる。
大人の口癖も同じようなものかも知れない。口癖と口癖の間の文章は覚えたものがそのまま口をついて出てくるのだが、その文章を言い終わったあと、口癖の言葉が次の表現に繋げる「息継ぎ」のような役割をしているのだろう。いや、文章を繋ぐときの息継ぎに使っていた言葉が大人になっても消えずに「口癖」になったのだろうな。英語の”you know”みたいな感じで、次の文章を出すためのきっかけみたいな感じ。
何が言いたいのか?だが、言語ってそういうものだと思っている。だから、英語を勉強するのに文法からの作文ではダメなのだ。単語を覚えるのでは英語は使えないのだ。固有名詞や専門用語はそのまま覚えてもいいのかも知れないが、述語に関係する単語は文章の中でのみ意味が決まる。だから、単語を独立に覚えても使えない。その単語が意味を持っている文章をそのまま覚えるしかないのだ。それをしない限り、何かを表現したくても、一つ一つの単語の間に「ほんでなあ」を入れ続けることとなってしまう。
よく「英語で考える」っていわれる。すると「そんなの無理!」となる。でもね、英語で考えるって言い方が誤解を与えているのかも知れないけれど、この状況を表現する英語の文章を咄嗟に選んで使うこと、要するに間に日本語を介さないこと、を称して「英語で考える」というのだったら、それは「その通り!」だと思う。ちょっと考えて欲しい。日本語を普通に話す時にいちいち内容を考えながら話しますか?たぶん脳の中に存在する文章を瞬間的に選択して口から出しているだけだと思う。「この動詞は五段活用だから」なんて考えて話す日本人は絶対にいない。なのに、なぜ英語教育ではそれをさせるのだろう?「主語が」「目的語が」「単語を覚えない」って、教える側の都合でしかない、と本当に思う。
さて、いまから新神戸まで12キロほど歩きます。