漢字と仮名
雑誌とかで公開される文章は編集者によって校正が入ることがある。その際に、同じ単語なのに「ここでは漢字で書かれているけど、ここではひらがな表記になっているので、どちらかに統一してください」というのがあるが、私は漢字とひらがなの表記を状況に応じてあえて変えることがある。これは単に「読みやすさ」を考えてのことだ。私は漢字やひらがなが続くと読みにくいと感じる。だから、たとえば「今私は」と書くときには「いま私は」と「今」をひらがなで書く。ただでさえ私の文章はクドくて読みづらいので、せめて見た目くらい読みやすさを求めたいと思っている。
どちらかというと仮名表記が好きだ。だから、どちらでもよければ平仮名を使いたいが、ひらがなが並ぶと、英語のように単語と単語の間にスペースを置かない限り、これまたものすごく読みにくい。いま書いている文でも「ひらがな」と「平仮名」を使い分けいてるが、この段落の冒頭の文章でも「どちらかというとかな表記が好きだ」とすると途端に読みにくいと感じる。次の文では「どちらでもよければひらがなを使いたいが」とすると、ひらがなが続きすぎて読みにくくなる。私のような拙い文章でも、いろいろと頑張って少しでも読みやすいように書いている(それでもこの程度なのだが)。
ついでに書いておくと、送り仮名についても「送り足りない」よりは「送りすぎる」方を好む。いつも例示するのは「おこなう」だ。「行う」ではなく「行なう」とする。「きたる」も「来る」ではなく「来たる」である。どちらが正しいという話ではなく、単に読みやすさを求めるためだ。だから、「行なった」と表記することに抵抗がある人もいらっしゃるだろう。私は逆に「行った」と表記される方に抵抗感を覚える。最終的には個人の嗜好の違いとしか言いようがないということと考えている。