論理
論理至上主義とか論理原理主義とか言われたことがある。そこまで名乗れる資格があるかどうかわからないが、まあ理屈で物事を考える人間である。というか、理屈以外に何をどう考えたらいいのかわからない。だから人の「機微」ってものを理解できないことが多い。
昨年、三ノ宮で飲んでJRで帰る途中、見ず知らずの人と変な言い合いになった。電車が駅につき、降車して階段を登っている時、突然真ん前を歩いている人が立ち止まった。階段を登るときは自分の足元を見て一段一段登る。足元しか見ないので、前を歩く人の歩みが突然止まったものだからぶつかりそうになった。相手が立ち止まった理由が、スマホの画面を見るためだった。かろうじて避けながら、咄嗟に「急に止まるな、危ないやろ!」と大声が出た。大声を出したのはこちらが全面的に悪いのだが、電車が到着して少なからずの乗客がホームに降り、改札がある2階へと歩く階段である。急に止まられたら、私だけでなく後ろの方にも迷惑がかかる(というか状況によってはかなり危険である)と思った。すると、その男性が「なんやねん」と絡んできた。相手からしたら自分の方が私に絡まれたと思っているのだろうが、こちらにしたらあまりに予想外のことだったからびっくりした。私なら、「あ、ごめんなさい」で終わる話だし、相手も「悪い悪い」と言って終わると想定していた。だから、「反論」してきたことに驚いたのだ。
詳細は省くが、相手の言い分は「車間距離を取ってない(真後ろを歩いている)お前の方が悪い」「前が止まって急に避けられないくらい運動神経の悪い奴は外出するな」である。私が普通に思う理屈が通じない。これを本気で話すとしたら、この人とはいくら話しても時間の無駄である。一般的にどちらが正しいかはわからない。もちろん私は、この場合に限っては相手が完全におかしいと思っているのだが、それは私個人の感覚なので社会一般に認められるかどうかは判断できない。解決を見ない言い合いが繰り広げられていた。私は自分の主張(階段で急に止まったら危ない」を繰り返すしかないし、相手はそれを認めないのだから。そうこうするうちに駅員が来た。駅員の言い分は「二人ともお怪我がなくて良かったです」だった。「?」。次に、「これ以上続けば警察に任せることになる」だった。これも「?」である。警察が扱う案件ではない。これを預けられても警察はどうしようもないだろうし、何よりまた無駄に時間がかかる。だから、「もういいです」と言い残して私は改札を出た。
さて、私が利用する区間のJRではポスターでも駅のアナウンスでも、「歩きスマホはやめましょう」と繰り返し案内がされている。まあ、当の男性によれば「だから立ち止まったのだ」という理屈を言うのかもしれないが、立ち止まる前には周囲の安全を確認するのは当たり前だと思うし、なにより急に立ち止まるのではなく階段を上り切って構内の広い場所に出た時に邪魔にならない場所まで移動してスマホの確認をすべきだと私は思う。話を戻すと、JRが繰り返しスマホについてアナウンスしているのは、それによる事故が多発しているからだろうし、今回のような客同士のトラブルも頻発しているからなのだろうと想像する。そのJRの駅員が、この場合にも完全中立を守る(と言えば聞こえはいいが、まあ事勿れを貫く)のはびっくりした。個人的には、今回の状況であれば、私には「急に大声を出したのは良くなった」と言えばいいし、相手には「急に階段で立ち止まるのはやめてほしい」と言えばいいだけの話だろうと思う。
そういえば、数年前の新幹線に乗った時のこと、指定席で座っていると隣の席の老人が足を広げてきた。明らかにこちらの領空を侵犯している。最初「すみません」と声をかけたがまったく無視された。チンピラのような輩ではなく小さくてか細いお年寄りである。足を広げるのにもびっくりしたが呼びかけを無視するのにも驚いた。こちら側にはみ出した足(膝)を手で押し戻したところ「なにするんだ」と怒鳴りかけてきた。こちらは「足が邪魔なので、自分の空間まで戻してほしい」とお願いしたのだが、それには応えることなく足を広げたまま「お巡りさんを呼ぶぞ!」と言われた。これまた私にはどうしようもない事態である。私の理屈では、私が購入した指定席の権利は目的地までは私に所属している。だから、それを侵害されることは理屈としておかしいこととなるのだが、この理屈が通じないと私は武器を失うのだ。上に書いた「直前の人間が急に止まって避けられない奴は外出するな」と平気で叫ぶ男性のように、超論理が飛び出てしまったら私の理屈は封じられる。さらに、車掌が通りかかったので注意してもらおうと事情を説明したのだが、「お客様同士のトラブルなので(関わりません)」という態度であった。私の理解では、これは客同士のトラブルではなく、また喧嘩両成敗が通じるものでもない。目的地に到着するまでの間、この空間を占有する権利をJRにお金を支払って私が購入している。その権利が侵害されているのだから、JRはそれを是正する責務を負うというのが私が考える正しい理解だ。でも、「他に空いている席に移動してもらうことは可能だ」とだけ言う。ただ、どちらが移動するかは「そちら(私たち)が決めろ!」である。
愚痴のようになっているが、ここでの議論は、このような単純な理屈は全員が共有するものだと思っていたのだが、それを超越する人に出会ったら完全に無力になるという話である。こうなったらもはや何もできない。それこそ、私が手に持っている財布は私のものである。それを無理やり奪って「これはずっと前から自分のものだ」と主張されたらそれに言い返せる理屈を私は持たないのである。ちょっと例がおかしかったかもしれないが、子供にだって分かる理屈だと思っていること、子供がそんなことをしたら大人は全員私と同じ注意をするだろうことを完全にひっくり返されたらここまで無力になるものかとびっくりした。もちろん、相手と同じレベルに立って屁理屈の言い合いはできるかもしれない。しかし、それは「論理至上主義者としての誇り(?)」が許さない。
ここまで生きてきたら、これまでも理屈の言い合い(議論)になって無茶苦茶な屁理屈で押収されることはあったのだが、その屁理屈は、議論に負けたくないからと話している本人が屁理屈だとわかって言っているわけで、やはり根底には共通の認識が共有されている。とにかく、世の中には私の理屈とは相容れない人が少なからずいるようなので、仮に「正当な権利」だと思ったとしてもその主張をすることなく我慢して過ごすのが、後々のことを考えたら正解なのだろうな。