ほらあ

以前、完全に想像で大谷さんと通訳のことを書いた(メリカでの生活)。昨日、アメリカの捜査当局から通訳の取った手法についての説明があったと報道されている。詳細は違っているが、私が想像した通りのことが行なわれていた。個人的には「そらそうやろうなあ」である。前のブログの最後にも書いたように、今回の「答え合わせ」で、金額にはびっくりしたが、大体は正解(個人的には思った通り)だったなと勝手に思っている。「全然違うやん」と思われる方もいらっしゃるだろうが、こういうことができるということが言いたかったし、その意味では「そらそうやろ」だ。

さて個人的に思うのは、「性善説を信じてはならない」である(性善説)。その人を疑えというのではない。ただ、最悪のことを想定することが危機管理の基本だと思っている。これは自分自身を守ることでもあるが、その人を守ることにもつながる。よほどの悪人は別として、普通の人で高いハードルを超えて犯罪を犯す人はそれほど多くないと思う。しかし、誰にも見つからずに盗める金が目の前にあり、それを盗んでもバレないだろうと思える環境に置かれたら、よほどの聖人でない限り魔が刺すことは十分にあり得る。厳重にとまで言わなくても、少なくとも簡単には盗めない環境を作ってさえいれば多くの場合このような犯行が行われることは防げるだろうと思う。性善説は「あなたを信じていたのに」ですべてをその人の責任にできる。それはその通りだと思う。悪いのは犯行を行なった人間だからだ。しかし、こんなことは簡単にできる状況を与えておいて「信じていたのに」はないと思う。これは、いまだによく耳にする業務上横領の話にも通じる。お金を扱う業務を長年一人の人に任せると魔が刺してもおかしくない。だから、その人を犯罪者にしないためにも、最低限の防御はしておくべきだと感じる。

大谷さんを責めるつもりはない。前回のブログにも書いた通り、日本人がアメリカに行ったとき普通に起こりうることだ。英語が話せないしアメリカの制度に馴染みがない人間はそれに詳しい人に頼りたくなるし、実際にその人に頼るしか方法がないこともある。講座を開くとき同行してもらうしかない。サインも言われるところに言われるようにすることになる。電話番号やメールアドレスの登録も、最終的には本人がわからないままに決められる可能性はあるし、やろうと思えば簡単にできると思う。私が言いたいことは、こういう可能性(危険性)があることを知っておいて、それができないようなチェックを少しだけ働かせておけば今回のことは起こらなかったかも知れないということだ。もちろん、何をしていてもそれをかいくぐって悪いことをする人がいるのは事実なので意味はないかも知れないが、それでも「簡単にできない」というだけでかなりの抑止力にはなると思う。逆に言えば、「簡単にできる」という環境に置かれたら深く考えずに反抗に及ぶ人は一定確率で現れると考える。今回は大谷さん個人の問題だが、組織体制の問題だし基本的な危機管理の問題(ルパンやキッドに狙われないための完璧な防犯というレベルではなく)だろう。要は体制以前の意識の問題に落とし込むべき話ではないかと感じるのだ。