自由? その3

アメリカは「自由の国」である。賛否はあろうが、とりあえずはそう言われている。しかし、その「自由の国」においての自由はかなり厳しく制限されている。アメリカではアパートで騒いだら普通に警察が来る。そこに「部屋で騒ぐのは自由やろ」という言い分は通用しない。普通に連行される事案である。おそらく日本では「民事不介入」「自己責任」だと思われているようなことにもアメリカでは行政が深く介入すると感じる。山火事が起こって避難勧告が出ても、日本だったら強制的に避難させられないように思うが、アメリカでは有無をいわせずに強制退去である。

最近、ダークパターンの話をよく聞く。ダークパターンとは、Webサイトの表記やデザインを利用し、 ユーザーにとって不利な決定に誘導する手法でユーザーを騙だましたり勘違いさせ、ユーザーにとって不利な決定に誘導するWebサイトの表記やデザインに対して名づけられた名称である。たとえば、ネットショッピングで安いと思って購入すると知らぬ間に定期購入になっていたり、それに気づいて解約しようとしても解約の仕方が明示されていないとか、解約方法がわかりにくい、あるいは多くのステップを踏まなければならないとかひどい場合には解約方法を説明するページが外国語表記になっているとかいうものだ。あるいは通常の購入操作をしているのに、知らぬ間に有料会員になってしまうとかもある。

このような詐欺的な行為を行なうのは、明らかに「騙してやろう」「騙される方が悪い」と考える犯罪者だろう。逆に言えば、真っ当な人や会社はこういう行為を恥だと思っているし、だからこその信用だ、と私のような年代の人間は考えがちである。昔の日本人は、百貨店で買うことをステータスとし、「メーカー品」に信用を置いた。しかし今は、以前の私なら絶対の信用を置くような大きな会社がこういうことを平気でする。それがなんとも情けない。

さて、そのような大きな会社が行なうダークパターンをアメリカでは国家が訴えたと聞いた。この辺りに日本との「自由」の概念の違いが見えてくるように思う。日本では、よほど明確な法律違反がない限り「騙される方が悪い」という気持ちになりがちである。いや、それが犯罪行為であったとしても、「野良犬に噛まれたようなもの」として諦める傾向が強いと思うし、法律や行政がそれを守ってくれることはほとんどないと思う。しかし、報道によると、アメリカではそこをもう一歩踏み込んでいる。法と観念が独立している日本と、法の裏に唯一絶対の神様がいる西洋との違いにあると私は感じる。こういう議論をすると西洋は常に正しくて日本は常に劣っているという、敗戦後の自虐的日本感のように思われるかもしれないが、それは明確に違う。どちらがいいとか悪いとかの議論をしているつもりはなく、ただただ「違い」について書いているにすぎない。そして、明治以降にアメリカから入ってきた概念の、額面だけを輸入して哲学を輸入しなかったことの違いを考えている。もう少し言うと、日本には世界に誇れる美徳があったはずなのに、無味無臭の「自由」という言葉によって日本が古来から育んできた美徳が消されてきたことを憂うのである。

まあ、たったこれだけの文字数で議論できる内容ではないし、ツッコミどころ満載のこの文章だけでは異論反論もたくさん出てくるだろうと思っている。いくつかの報道でダークパターンのことを読み、明らかにおかしいと感じられることも「表現の自由」で逃げられる昨今の状況を見て、以前から思っていることに絡めて書いてみたかった、それだけのことである。