理解の段階

勉強したり読書したり、テレビを見ても良いし誰かと話しても良いですが、生きているといろいろと新しい知識を得ます。普通に考えて、新しい知識を得たら、それまでとは進歩しているはずです。知識量としてはその通りだと思いますが、思考そのものを考えると増えた知識が考え方に偏向を与えることもよくあると思っています。余分な知識がない方が物事を純粋に抽出できることもありそうに思いますし、実際にそういった経験もしてきました。

わかりやすい例では、科学の「大発見」があります。大発見することとはどういうことなのか?ただの発見とは何が違うのか?について考えればよく理解できるのですが、「ただの発見」とは、何でも良いから新しい知見を見出すことに対して、「大発見」とは常識を覆すことだと言えます。では「常識」とは何か?結局ですが、覆されるってことはそもそもその常識は間違えていたということにあります。だから、大発見するためには、まず嘘を流布しておく必要があるわけです。知識としてその嘘を学ぶことで思考が歪められることになるのです。

さて、「考える会」という集まりを今までさまざまな状況でやってきました。学校の先生方を対象にしたこともあります。高校生を対象にしたこともあります。それぞれに反応は違います。こと生物学に関して言えば、高校生に比べて高校生物の先生の方がたくさんの知識をお持ちです。それが良い方向に働くこともありますが、その知識が邪魔することもあります。先入観が新しい考え方を邪魔するのです。

今週、先生と高校生を対象に長田高校で「考える会」をさせていただきます。高校生も、生物の授業を終えている生徒さんもいれば未習の生徒さんもいるようです。企画してくださっている先生は未習の生徒さんのことを心配されていますが、むしろ余計な知識を持っていないことが自由な発想に結びつくことになるのではないかと思っています。