昭和の言葉
先日ネット記事で見かけたのだが、昭和世代の使う言葉が若者には通じないらしい。「一丁目一番地」が通じない。「え、どこの住所?」となるそうだ。「一枚岩」も通じなければ「大車輪」も通じない。
この記事を読んで感じることは、若者が言葉を知らないことではないし昭和の言葉が古くなったということでもない。というか、いつも書いているように言葉の意味はア・プリオリに決まるものではなく文脈によってのみ意味は決まる。だから、その言葉に初めて出会ってもその時の状況やそこまでの全体の文脈から大体の意味は察することができるし、そうやって言葉の意味を知る。昭和世代の人間がいちいちすべての言葉を辞書で調べたり学校で習ったりしていたわけではない。大人が話す言葉をその文脈から判断する。一回だけしか聞かなければその意味は捉え切れない。その時は辞書を引けばいいし誰かに聞けばいいだろう。でも、同じ言葉を異なる状況・異なる文脈で複数回聞けばそれらに共通する意味が切り出されてくるはずだ。それができないとしたら「昭和の言葉が通じない」以前に、論理力や表現力にとってかなり深刻な問題だろうと思う。