ゲシュタルトと時間?

先週水曜日の業績報告会の前は何かバタバタと忙しく

終わったら気が抜けてしまいぼーっとしていました。

 

さて、昨日の夜、入浴中に何となく考えていたことです。

読書のとき普段は何も考えずに(意識せずに)文章を追っています。

でも、何かの瞬間に「文章を読んでいる」そのことを意識します。

すると、いままでは完全に無意識に行なわれていた

「自分が文章を読んでいるという行為」が意識されて

文章の意味を取れなくなってしまいます。

 

同じように、呼吸なんて誰も意識していませんが

息を吸ってはく行為そのものを意識し始めると

呼吸そのものがとても大変な行為になります。

 

この感覚が「ゲシュタルト崩壊」の感覚に似ていると私は感じます。

かたちの議論をする時に時間の議論と共存させられません。

時間とかたちは私にとっての大きな壁のようなものです。

だからゲノムを考える時に個体発生の立場で議論すると

ある瞬間に立ち止まって動けなくなるのです。

この、動作の中に見えるゲシュタルト崩壊に似た感覚って

時間とかたちをつなぐ何かになるのでしょうか???

たぶん何の意味も無いことなのでしょうが

ふと頭をよぎったもので久しぶりにかいてみました。