考える会(常識を掘り下げる)

実験結果や論文のデータなどの生命現象にまつわる話だけが題材ではありません。「普通の教科書の知識について」も考えています。たとえば「なぜDNAが遺伝情報(ゲノム)でRNAが遺伝子発現(mRNA)に用いられるのか?」とか、「なぜDNAにはチミンが、RNAにはウラシルが用いられてるのか?」について考えます。たぶん、誰もが一度は思ったことだけど、真面目に考えたことはない題材でしょうが、これも論理的にある程度考えることはできますし、それは塩基やヌクレオチド・核酸の構造に端を発し、代謝・遺伝子発現・発生・進化といったさまざまな単元の総合的な知識が求められる面白い議論になります。進化を考えると、何か意味を持ったものが残され、意味のないものは失われることに気づきます。この「意味」は淘汰(選択)圧と言い換えられるでしょう。その生物にとって極めて重要な意味を持つものは淘汰されにくく、意味を持たない形質は簡単に淘汰されるということです。だとすれば遺伝情報(ゲノム)がDNAであることになんらかの意味がある、またはmRNAであってはマズイ理由があるのでしょう。遺伝情報の発現もDNAが使われることで生じる不利益がある、またはRNAを用いることによる利点があると考えられます。そして、それらは一義的には核酸の構造に起因しているはずです。この辺りから議論を深めていけば、教科書で個別に覚えていた知識が意味を持ってつながることに気づくでしょうし、そこが極めて重要なポイントだろうと思うわけです。

他にも、教科書ではその単語しか出てこない「制限酵素」についても、「制限と修飾」という生命現象を理解するためにさまざまな議論を展開することで深い部分の理解につながります。バクテリオファージは、ゲノムDNAをコンカテマーとして合成し、そこから1ゲノム分を切り出して頭部に詰め込みます。この現象にも生物学的に深い意味が存在します。本当に身近な現象や知識、それこそ小学生の子供が「なんで?」と疑問に思うところを突き詰めていけば、そこには生物学の本質が存在しています。そして、この本質的な部分が理解できたら教科書の内容の理解は深くなりますし、教科書に書かれている表面的な知識(語句)を理解することも難しくなると思っています。こういうことを総合的に行うことが、新しい学習指導用力の目的に適うのではないかと思っています。