淘汰圧は何にかかる?5

ちょっと、あやしい前提の上に不確かな仮定をいくつも置いたので

眉につばをつけたくなった方も多いとは思うが、

本題はそこではないのでもう少し我慢していただきたい。

いまは「神経堤細胞の確立に細胞周期の維持が必須である」と仮定した。

この仮定に沿って言えば、

「細胞周期さえ維持させることができればどの分子がどう働こうが構わない」となる。

これが「淘汰圧は現象にかかる」の意味である。

細胞周期を制御する機構は複雑であり、

さまざまな分子が協調しあいながら細胞の状態を決めている。

その制御機構は生き物によって多様であり、

同じ分子を持っていても、それらがまったく同じ機構ではたらいていない場合もある。

変異は遺伝子(分子)に入ることは間違いないのだが、

その変異の持つ意味は、その分子が要素として存在する上位構造の意味に規定されるのだ。

だからこの議論では、細胞周期の維持さえ満足させられれば

個々の分子の変異に関しては「どうでもいい」ってところが本質なのだろうと思う。

そして、細胞周期をどのように維持させるのかに関わる分子の違いによって

その後の発生過程にも違いが生じるだろうことは想像に難くない。

 

脊椎動物の五つの「綱」はかなり短期間に成立したと考えられる。

おそらく、脊椎動物を作るプログラムが固定される前の「柔らかな」時期に、

さまざまな取捨選択が起こり、各綱に特異的なシステムを作り上げたのだろう。

その際に重要視されるのは、神経堤細胞に関して言えば「細胞周期の維持」であり、

それが成立することだけが選択されると考えても良いのではないだろうか?

もちろん細胞周期だけですべてを語れるとはまったく思っていない。

そもそも細胞周期の仮説自体が間違えている可能性だってかなりあるのはわかっている。

ただ、それを認めても、この「淘汰圧は現象にかかる」ということは

間違えていないと思うのである。

 

神経堤細胞に限らず、初期発生過程には多くの分子が重要な働きをしている。

違う生きものであっても、同じ領域で働く分子の中には

同じ働きをしているものも当然だがたくさんある。

こういう場合、一般的な考え方は、

たとえば「魚とカエルでは共通の遺伝子の子孫が働いている」と考えるのだが、

実際にはかなりの数の遺伝子で「遠い親戚」程度の関係でしかないものが

同じ領域の形成に働くことが知られており、

逆に、同じ遺伝子の子孫同士はまったく異なる場所で働いていることも多い。

結局、少なくとも脊椎動物の綱を考えたときに

ある分子機構が安定的に確立してから進化が起こったのではなく、

かなり不安定で何でもありな状況下で、

欠くべからざる現象を維持するために必須の分子を

その場に持てた生きものだけがその後も生存することができ、

その際に重要なのは分子の系統関係ではなく、

分子が関わる現象そのものだったと考える方が妥当ではないだろうか?

 

このところ、わっと一気にいろいろと書いてきたのだが

まとめるために書き始めた結果がまとまりがつかないという、

なんともみっともない話で終わりそうだ。

この程度のことをぐじゃぐじゃ書け!と言われたらいくらでも書けるが、

お目汚しもさすがに限度を超えているように思う。

「体力の限界!気力もなくなり」と、

この辺りでひとまず心の旅に出ようかな?

(おわり)