ゲノムと言語
ゲノムを言語に例える時、たとえば英語なら26文字のアルファベットからなるのに対して、DNAは4文字の塩基からなるのような表現(考察)は全くもって不適切といわざるを得ない。これは表面的な相似性を安易に比較しているに過ぎず、本質的な相同性を議論していないからである。言語とは論理体系である。そしてゲノムも論理体系なのである。だからこそ、世界中に存在する異なる言語の種類は、その数だけの異なる論理体系があると見なすべきであろう。これと同様に、様々な種のゲノムもまたその数だけの論理体系が存在するのである。大きく根本から構造が異なる言語の種類はいくつあるのか私は知らないが、日本語と英語は根本的に正反対の論理体系ではありそうだ。アイヌや琉球の言葉はどうなのであろうか?互いに良く似た構造をもつ言語もあるし、方言のようなかたちは原則的に共通なのだが微妙な違いの存在もある。これらはあくまでも独立して存在しており、ある言語と、別の言語との間にいくつもの中間形が存在するものではない。このような論理体系として言語を捉えた場合に、そのゲノムとの相同性が浮かび上がってくる。だから、カンブリア爆発と同様の現象がゲノムに起こったと仮定するならば、それはバベルの塔の逸話になるのかもしれない。