情報がいつ生じたのか?
表題は西川先生がよく口にされる疑問だ。
これについて個人的にはまったくしっくり来ない。
物理現象だけだったところに情報という「モノ」が生じた、
これがなぜ?どのように?生じたのか?という疑問だろう。
ただの物理化学の法則の中に情報という概念は存在しないとする
(本当は「情報」を明確に定義してから議論しないと気持ち悪いのだが)。
で、情報がいつの間にか現れたのだが、
これは本当に「いつの間にか」なのだろうか?
生物の出現は、(おそらくDNAが)自己複製を始めたときに端を発するはずだ。
そして、自己複製がされやすいもの、すなわち子孫を残しやすいものは
他に比べて有意に勢力を拡大しただろう。
だから、自己複製する効率が高くなる変異はより選択され続けてきたはずだ。
ここに「目的論」を持ち込むことは危険かもしれないが、
でも、生命の定義が自己複製するものであれば、
自己複製するという「目的」が暗黙的に存在しなければならない。
生命の存在意義であり、生命の目的が「自己複製」ということだろう。
最初の自己複製する能力を持ったDNAを情報と呼ぶかどうかは議論すべきかもしれないが、
なんにしても、自己複製を効率よく行なうために様々な戦略を獲得したわけで、
その「戦略」や「武器」のようなものを受け継ぐためにはそこに情報がなければならない。
だから、時間軸にそった情報(縦方向)の伝達は、
生命の発生に端を発すると考えるしかない。
では、同一時間内で伝達される(横方向の)情報はどうか?
これは、意味の成立をもって情報がうまれたとするべきだろう。
では、意味がいつどのように成立したのか?
これは脳のような高次の「情報処理体系」がうまれたときとしか考えられない。
我々の(別にヒトに限定する必要はないかもしれないが)思考がなければ
意味を切り出すことはできないからである。
もちろん、原始的な情報処理形、すなわち神経系の成立をもって
何らかの意味が成立したことはありうる。
というのも、神経はデジタル的な情報処理を行なっているのだから、
1かゼロかというインプットを行なうためには
そこに何らかの意味をもたせなければならないからである。
ただ、原始的な神経系ではそれは物理化学的な刺激の様なものだったのだろう。
その刺激を受けて生体反応をするということ、たとえば走化性など、は、
その生命体が子孫に受け継がれるために必要な防御反応のようなものであり、
逆の走化性をもった個体は補食されたりして子孫を残せなかったわけだから、
まあ、縦方向の情報の意味合いが強かったのはたぶんその通りではなかろうか?
そのようにして原始的な情報処理体系を獲得し、
それらをより複雑化することで高次の情報処理体系が生じた。
ここに言語の獲得があるという話に、短絡的にはなるのだろう。
ちょっと議論は乱暴になっているが、
でも、この文章中でここは大して重要ではないだろう。
いいたいことは、縦方向の情報(伝達)は生命の誕生と同時に誕生し、
というか、自己複製能をもった瞬間にこの「情報」は必然的に生じたとしか言えない。
そして、横方向の情報(伝達)は、情報の定義により議論は多少異なってくるだろうが、
基本的には神経系が生じた瞬間に、ほぼ定義的に生じたとしか考えられない。
したがって情報とは生命と同義であると考えてまったく問題なく、
生命活動を行なう限りそこに情報が存在するのは必然なのであろうと感じる。
だから、いつどのようにして情報が生まれたかを議論することは、
いつどのようにして生命が生まれたのかを議論することに等しいのだろう。
だから、生命体がないところには情報は論理的に存在し得ない。
そして、そこには限りない自己複製への欲望という「目的」が本質的に備わっている。