相似と相同

一般論としてははなはだ書きにくいのだが、

相似と相同の概念についてすこし考えてみる。

 

相似とは、かたちやはたらきが似ていても

系統進化的にまったく異なる成り立ちで形づくられた構造を呼び、

相同とは、かたちやはたらきがあまり似ていなくても、

系統進化的に同じ成り立ちで形成された構造を言うとの説明で

まあそれほど大きく間違えていないと思う。

 

その概念が20年ほど前から古くなってきたように思う。

分子発生学の発展のおかげで生命現象に関わる遺伝子が多数同定され、

相同な器官を作るときに働く遺伝子のみならず、

相似の構造をつくるときに働く遺伝子にも「相同性」が認められ始めたからである。

要するに「ゲノム」の立ち位置から見たら相似の構造も相同だろうという議論が始まったのだ。

この議論がどれほど多くの人が主張しているのかは分からないが、

私の周囲には少なからずいらっしゃるし、

俗にevo-devoと呼ばれる研究分野の人の大多数はこの考え方に依存しているのではないだろうか?

 

私の思う相似と相同は、その構造を形づくる過程に本質的共通性があるものが相同で、

それ以外、単にはたらきだけが似ているものが相似である。

相似の構造をつくるときに「相同遺伝子」が働くことは、

そのかたち(たとえは平べったい構造の表裏・前後・周縁など)を作るのに

共通の遺伝子のセットを使わざるを得なかっただけであり、

言い換えれば、ブロックやカセットのように特定のかたちを構築する遺伝子のセットが

進化の過程で獲得されており、

生きものがある形態を形成するときにはそのセットから必要なものが選ばれている、

まあそんな感じで思っている。

だから、共通の遺伝子が用いられているのは当たり前であり、

それと系統進化的な意味は全く別なのだろうと考えているのだ。