例の・・・・

追試実験が本人参加で今日からなされると報道されていましたね。

以前にも何度か書きましたが、

そもそもネッシーや雪男レベルの論文が発端で、

それ以降は本人の「あります」発言以外はネガティブな報告ばかりなのに、

しかも件の雑誌からの論文撤回が決まったという報道もあり、

理屈としてはこの世に存在する根拠すら失ったかたちであろうに、

あえて人手もお金もかけて追試をする意味が分かりません。

でも、穿った見方をすれば、

無いことを証明する唯一の手段かななんて思ったりもします。

 

ここでいつも通り蛇足の確認をしておきますが、

私は「無い」とはひとことも言ってません。

ただ「ある」とする根拠が科学的にはゼロ、あるいはマイナスであり、

あるとする可能性は論理的にあるだけで、科学的には全くないわけで、

そんなものをあえて他人が追試する意味が分からないと申し上げているだけのこと。

だから、もしこの追試で「あった」としても「ああそうですか」で終わります。

ただし、それならなぜその完全なデータで論文を作成しなかったのか?

 

で、本題に戻ると、

無いことを証明するのは「悪魔の証明」と言われるくらいに論理的には不可能である。

それをあえて証明するとすれば、

本人参加のもとでの追試しか無いかなと思うわけです。

まあこれは逆の言い方で、

本人がいないところでいくら優秀な研究者が追試をして

「できない」ことを見せても世論は納得しないでしょう。

あるいはある種の超能力で本人ならできるという可能性だってあるかもしれない。

なら、それを見せていただかなければならないってことだろうと思います。

まあ普通に考えて「絶対にできない」というのが生物学者の統一見解だろうと思います。

しかし、科学者以外には「できる」と信じる方もいらっしゃるようです。

なら,本人参加しか選択肢は無いよなってことなのかも知れません。

 

積極的に本人とは別の科学者らが追試を行なうというのは

やはりおかしな話でしょう。

だって、それなら例の森口さんの仕事も追試しなくちゃならないし、

世の中には誰も声を出していわないけれど、

「これは無いわ」って論文が少なからず存在するのは事実です。

それらを追試しない理由が立たない。

ちょっとイヤラシく物事を見過ぎかな?

 

ただ、追試はともかく、このような自体を引き起こした原因については

しっかりと検証しなければ科学に対する信頼を回復できないと思います。