追試?

理研が相澤さんを責任者に据えて例の実験の追試をしている。

 

で、あくまでも個人的な疑問。

 

たとえばネッシーがいるという論文を書いて、

しかしそれはソフビの怪獣を池に浮かべただけの写真だったと分かったとき、

では本当にネッシーがいるかどうかの追跡調査を莫大な金と時間をかけてしますか?

論文の方法論に科学の作法を無視した行為がとられているのが分かったら、

「科学の体をなしていない」論文であるとして論文自体が無かったことになるだけ、

まあそれで終わるのだろうと普通は思う。

それをあらためて追試しようとすることはたぶん間違いなくあり得ないと思うのだ。

 

ネッシーがダメなら雪男でも良いしUFOでもいい。

雪男の足跡や写真を捏造したことが分かったら、

灰皿を投げてそれを写した写真であることがバレたら、

それで終わりになるはずだろう。

「足跡や写真は捏造であっても、雪男やUFOがいないとはならない」として

その後に大々的に調査を開始するとは思えないのだ。

もちろんいないなんてことは証明できないから

「いる」という可能性はいつまでも残るわけだが、

だからといって現時点では何の可能性も無いことに、

少なくとも科学の名の下では、なってしまった問題である。

今回の理研の問題も、

我々がネッシーやUFOに思っているレベルの常識でとらえて構わない問題だろう。

何もネッシーや雪男がいないなんて言っていない。

ただ、科学的に見ていると信じる可能性が極めて低いということであろう。

そういう問題を作業仮説において研究を提案したら

たぶん研究費は当たらないだろう。

だから、論文の信用性が無くなった時点で「はい、おわり!」で済ますべきことじゃないかな。

 

ことが病気や医療に関わる内容だけに違う見方がされているのかもしれないが、

単純に見たらこれ以上関わる必要の無い、と言うか関わってはならない問題のように感じる。

 

いやあ、別に私がとやかく言う類いの話ではないのだと思うが、

何人もの優秀な研究者が自分の研究を放り出してこの研究に時間を使っているというのが

なんかもったいないし、本人がどうしてもやりたいとおっしゃっているのならいいのだが、

トップダウンで半ば強制的にやらされているのだとしたら、

この仕事にかかる時間やお金のことを考えに入れなくても

科学に対して無駄でもったいない話だなあと外部からは見えるということ。

だから、当のご本人も含めてこの現象に興味を持つ人が

個人の強い意志のもと自発的に追試を行なうことは何も問題ではないとは思う。

というか、もし私の論文のデータに捏造などがあり、

論文としての体裁を失ったものだったとして、

その内容を研究館で再検証してくれるなんて普通に考えられない。

私に限らず「嘘つき」のレッテルを貼られて終わるのが普通の対応ではなかろうか。

 

以下、蛇足は重々承知の上で書いておく。

私の立場は「この現象」があるかないかについて述べているのではなく、

あくまでも科学論文・科学研究の方法論を踏まえていないやりかたで公表された結果は

ネッシーやUFOと同じ議論にしかなりようがなく、

そうでないというのであれば科学の作法を守って粛々と研究を行ない

作法どおりに公表するべきだと言っているに過ぎない。

ことの真偽については意見を言える立場にないのはご理解いただけるだろう。

作法を守っていない論文は科学の土俵にあげられないと言っているに過ぎないのだ。