論文を書くときには

先日、論文を書く際にはあらゆることを想定すると書いた

https://hashimochi.com/archives/7631

 

しかし、すべてを想定することは現実的には不可能である。

だから第三者から意見をいただくべきだとも思ったりする。

しかし第三者のご意見の中には反論や批判にも互いに矛盾するものもある。

たとえばある人は「図1は説得力があるが図2はダメだ」と言い、

別の研究者は「図2は素晴らしいが図1は無意味だ」と言う。

この場合は、論文を投稿したときにレフリーがどっちのタイプかによるから

現実的には対応できない。

 

そこで私たちの論文執筆の作法なのだが、

とにかく徹底的に議論はする。

自分たちの議論を懐疑的・批判的に検証し、

考えうる反論をとにかく検討する。

そこまできっちりとしたら投稿するというもので、

第三者の意見を求めることは基本的には行なわない。

 

始めて論文を執筆したときに経験したことを書こう。

私はレフリーからの批判が怖くて様々な人から意見を求めた。

すると、上でも書いたように、人によって互いに矛盾する指摘を受けた。

もうこれはどうしようもないので無視するしかなかったのだが、

もうひとつ「相談してマズかった」と感じたところは、

第三者から指摘されたところが気になって

本文中にどうしても言い訳がましい文章を入れてしまうようになったことだ。

まだ指摘も受けていない架空の反論に対して本論と趣旨からはずれた言い訳を入れてしまい、

まあ読みにくい論文を書き上げてしまった。

 

結局、論文は読者によって読み方は様々である。

私たちと同じ視点で読んでいただける読者にはご理解いただけるが、

立ち位置が異なる読者にはこちらの主張を正面からご理解いただけないばかりか、

完全な誤解を受けることも少なからずある。

それはもう仕方ないことであり、

専門家であるレフリーであっても同じことは言えるはずだ。

ということは、レフリーによって図1を気に入る人と図2を気に入る人があり、

この点をビクビク気にしていてもどうしようもないということである。

 

この経験から、上述のように私は論文に関して第三者の意見を求めなくなった。

自分たちの中で徹底的に議論することがすべてとした。

論文の目的は雑誌に掲載され広く世間の目にさらされることである。

そして科学的な批判を受ければよい。

そのための第一段階は、世界中でたった数人のレフリーを説得できればよい。

致命的な欠陥があってもレフリーがそれに気付かなければ論文は公開されるわけで、

もちろんそんな論文は公開された瞬間に抹殺されるだろうが、

とにかく、公開され科学の批判を受けるという目的は叶う。

レフリーが気付かないような反論を事前にビクビク気にしても仕方ないのだと思うようになった。

 

論文の投稿前にはたくさんの研究者とたくさん議論するべきだという議論もあるし、

それを全く否定するつもりなどないのだが、

私は、その方法はあまり本質的ではないと思っている。

ただし、この議論はあくまでも論文の公開という作業の方法論であって、

科学的な話では、学会や勉強会などでしっかりと議論をさせてもらうことは重要であり、

研究室内部だけでの議論では大切なことをたくさん見落とすだろうから、

多くの研究者とデータやその解釈を考察することは最も重要なことのひとつだと思っている。