ゲノムの方法論ー続き

昨日の話の続きです。

まあ蛇足に近いかな?

 

結局、思考で何かを求めるためには

そこには論理的な因果関係がなくてはならない。

思考の方法論は論理であるからである。

で、たとえばコンピュータプログラムを走らせた結果として

理由は分からないけれど何らかの法則性が見いだされた場合に、

その法則性を思考によって求めることができたのかと言われれば

それは無理だろうと思わざるを得ない。

2−6−2の法則にしてもそうだし、

後付けの理屈は成立するにしても

理屈から法則を見いだすことは不可能だろうと感じる。

 

この意味においては、

理屈ではなく「こうなると」しか言えないような規則は

理屈でそれを見いだせない以上は

あらかじめ論理の俎上に載せておかないとどうしようもないだろう。

だから、数式やプログラムなどで未知の規則性を獲得する方法論は重要であると思う。

でも、それを自分自身でしたいかと言えば・・・・違うよな。

やはり理屈を求めて解を得たいと考える。

このような嗜好は研究分野やそれを特方法の志向にも同じことがいえそうである。

 

まあ、ノックスマシンという書物からここまでの理屈をこね回すのが私らしいかな?