必要
橋下市長の発言の波紋が続いている。
内容に関してコメントをするつもりはないのだが
ひとつ気にかかっていることを書いてみたい。
以前に書いたような内容である(https://hashimochi.com/archives/6076)。
「従軍慰安婦は必要だった」という文言についてであるが、
これがnecessaryという単語を用いて訳されていたように思う。
私はいつも言うのだが英語と日本語は、
いやこのふたつに限らず異なる言語間のコミュニケーションはかなり限定されるということ。
橋下市長も「風俗」発言に関して述べていたが、それと同じ話である。
必要という言葉をnecessaryと訳した場合に英語圏の人たちがどう受け止めるのか分からない。
辞書にあたってみるとnecessaryは「なくてはならない」「必然の・避けがたい」とある。
おそらく橋下市長はこの意味で必要とは言っていないと思う。
あの時代に慰安婦に類する制度がどこにでもあったという事実から、
「必要じゃなかったら存在しないでしょ?」
「存在したからには何らかの必要性があったのでしょ?」と
歴史的事実からの個人的な推論を述べたに過ぎないのだろう。
それは日本語を母国語とする人間には理解できる。
しかしnecessaryとしちゃうと「必要欠くべからざるもの」みたいな意味が生じたのではないか?
これが私の推測である。
例えばこれをrequisiteくらいを使って訳せば状況は変わっていたかもしれない。
辞書によるとrequisiteは「(本質的に必要というよりは外部状況から)必要な」とある。
英語のニュアンスを知らないのでこの単語が適当かどうかわからないのだが、
でも辞書の説明を見る限りはこの表現が橋下氏の言いたいことに近いように思う。
相手に何かを勧めたい時にもその強さによっていくつかの表現がある。
で、「〜した方がいい」に相当する英語はhad better~と習うが、
これはほとんど強制的であり実際には相手のために勧めるような意味合いはないと言われる。
責任と訳されるresponsibilityをとっても日本語と英語では正反対に感じられるほど異なる
(https://hashimochi.com/archives/4437)。
おおざっぱに言えば日本語の「責任」とは身を引く方向での身の処し方であるのに対し、
responsibilityとはその事態に対していかに反応できるかについての能力である。
まあこれらと同じことが異なる言語間で多く存在するのだろうということだ。
で、私はここで英語論議をしたいわけではない。
言いたいことは、日本語から英語に変わった時に受け取られ方が大きく変わった可能性、
さらにそれがさらに異なった言語に訳された時に
もともとの発言の真意を大きく逸脱した可能性である。
日本語のひとつの単語を英訳する時には
その文脈に応じてふたつあるいはそれ以上の英単語に訳出されることはままある。
それは、そのふたつ(あるいはそれ以上)の英単語で表される状況や感情などが、
日本語では、あるいは日本人にはひとつの単語で表されるのだろう。
この違いを深く考えずに訳出したら真意など伝わるはずもない。
今回の橋下市長の発言に端を発する問題の根本にこの可能性はないのだろうか?
これを素朴に疑問として感じている。