個体発生を研究すること

今週はDNA・ゲノムに始まり、生物種から個体発生へと議論を進めてきた。

ややもすれば無理矢理感のある話の進め方だったのだが、

これはこれで目的があったのでご容赦願いたい。

もちろん、これらの話の一つ一つを丁寧に掘り下げればもっと面白い展開にはなっただろうし、

表面をなぞった時には見えなかったことが見えてくるだろうから、

時間があればゆっくりと議論を深めてみたいとは思っている。

 

さて、私はセミナーやレクチャーで実際の研究の話をすることがある。

具体的にはカエルとイモリの原腸形成過程の話であるが、

その話を単独でするとただの発生学の話に終わる。

だから感想は「なるほど、カエルのかたちはそうやってできるのね」であろう。

しかし、私が両生類の原腸形成過程を研究している目的はそこにはない。

それをセミナーの序論で完結に述べるすべを知らないので仕方なくカエルの形づくりの話を始めるのだが、

実は、カエルとイモリを比較することの意味は、

両生類とは何ぞや?脊椎動物とは何ぞや?との問いに

ゲノムの観点から答えることを目的としているのである。

ゲノムの変化によって多様性は産まれる。

しかし、その多様性もなんだかグループを作っているように見える。

これが分類学の根本の思想である。

そのグループから逸脱したら別のグループとなり、

その中間形というものは存在しない。

というか、すべてにおいて中間形、そのまた中間形などが存在したら、

そもそも分類学なるものはその定義として成立し得ない。

そのグループ分けを考えるには個体発生過程を念頭に置かなければならないと思っている。

その理由が今週4回にわたって簡単に書いてきたことである。

本当は、時間無制限でこの話を議論してから発生の話をしたいなと思う。

そうすればおそらく、同じ話からでも見えてくるものは異なるはずである。

しかし、発生の話の序論にゲノムやDNAを話し始めたら収拾がつかなくなるのは目に見えている。

しかし、その辺りの議論はしておきたい。

この辺りの葛藤が年明け早々のコラムの内容になったということである。

 

お気づきの方もあろうが、私のレクチャーには哲学の話と発生の話がある。

発生の話をするときは発生の話だけ、哲学の話をするときは哲学の話だけなのだが、

それらは私の中では密接につながっている。

ただ、哲学の話が90分の一話完結で終わるのかといえば、それは無理な話である。

これだけでも、できればお客様との対話を交えながら90分X4回くらいは必要だろう。

以前に一度、年に一回のレクチャーの時間を使って「かたちの哲学」を毎年シリーズ化したことがある。

しかし、結局は断念してしまった。

理由は、1年前のことをお客様がどれだけ覚えていらっしゃるか分からず、

復習を毎回必要としたことであるが、

最大の理由は、毎回新規のお客様がいらっしゃることだった。

覚えているいないというレベルではなく、前回の話しをお聞きいただいていないのだから、

前回の続きをするわけにいかない状況となった。

そこで、90分のうちの3分の2以上は同じ話の繰り返しとなった。

これを数年繰り返したらもはや限界でどっちにも進めなくなってしまった。

というのはご理解いただけるだろうが、

2回目は1回目の復習を簡単にでよかったのだが、

3回目は1回目と2回目を合わせたものの復習となり、

4回目は前3回の復習となってもはや4回目の内容に触れる時間がなくなるのだ。

まあ、こういったジレンマもコラムを始めるきっかけにはなったので悪いことばかりではない。

ただ、では聞きにきて下さるお客様全員がコラムをお読みかといえばそんなことはない。

同じジレンマがここでもまた繰り返される。

 

何にしても、この文章をお読みくださっている方は、

さわりだけでも個体発生とゲノムのつながりをご理解いただけたと思うので、

その観点からまたの機会に橋本の話をお聞きいただきたい。

もしかしたらそれまでとは見方が違ってくるかもしれない。