二項対立
二項対立の姿勢って分かり易くウケやすい。
ひとりの敵を作って徹底的に叩くという図式だからだろう。
小泉純一郎がそうだったし橋下徹もそう感じる。
これは良し悪しというよりは戦略的な何かだろう。
しかし、いつも述べるように、新しいものを創造するという意味においては、
二項対立の図式はまったく意味をなさない。
それは、ディベート批判にも書いたことがあるように、
議論によって新しい何かを創造するというのではなく、
二項対立では最初に結論があるからである。
たとえば構造主義生物学が登場したときを考えると、
その成り立ちからも分かりやすいのだが分子生物学を敵として議論がなされた。
分子生物学では生物のことは分からないから構造主義だという流れだ。
わたしも根本的には反分子の思想が強いので言いたいことはすごく分かる。
でも、分子の全否定とは分子至上主義と表裏の差こそあるものの同じことだ。
このような見方をすると同根の問題が日常的によく見られる。
たとえばフェミニズム、というか女権論を大上段に振りかざす議論を考えると、
とにかく議論は女性の権利という本来の主張を越えて、
とにかく反男性という立場での闘争に見えてくる。
これでは男尊主義と同根の議論に陥ることに気付かないのか
それとも確信してそのようなことをやっているのか?
確信犯としたら、その行動の意味が途端に分からなくなる。
結果として男性を立てたとしても、
女性の権利や立場がいまよりも良くなればそれでいいとわたしなら思う。
運動として、特に社会に知らしめる意味においては、
敵を作りそれと対決する図式がもっとも共感を得やすいのだろう。
でも、それで本来の目的が達成できるのか?疑問である。
いまのところ、二項対立のよさがまったく見えて来ないのだが、
この図式は至る所で目にすることができる。