攘夷?

維新前後の攘夷の考え方とはどういったものなのだろう?

単なる渡来人への畏怖なのか?

それとも武士(もののふ)としての誇りなのか?

この欄をご覧くださっている方々にはご理解いただけるだろうが、

私は欧米人を好きではない。

いや、欧米人崇拝する日本人の考え方が好きではないのだ。

横文字が格好いいと考え、

やまとことばにカタカナ語を乱入させる思想が、

到底受け入れられないくらいに嫌いなのだと思う。

 

で、例えば神戸事件のことを思う。

あるいは堺事件のことを思う。

あのときに切腹した武士たちはその誇りを見せつけたのではなかろうか。

己の腹を十文字にかっさばき、

己の手ではらわたをつかみ出して西欧人に投げつけたことに、

さすがの騎士道の国の武士(ぶし)たちも肝を冷やしたに違いない。

 

司馬遼太郎は、南北朝の頃の楠木正成に同じようなことを思っていた節があるが、

楠木はただただ天皇への忠義のみに命を賭した人であった。

その忠誠心の出所が理解できないと司馬はいう。

そのころの思想信条の規範にそぐわないのだそうだ。

もはやこの辺りになると私のような凡人の考えを超越している。

しかし、維新直前の志士たちが楠木正成の墓所を聖地として崇めたことからも

尊王と攘夷の間に時代を超えて通じる何かがあるのだろう。

 

などなど、何となく考えていた。

なぜこんなことを考えたのだろうか?

あっ、思い出した。

先日タモリ倶楽部を見ていたら、

タモリさんたちが東京の私鉄で線路の敷設作業をしていて、

そのときに「生麦」という駅名が目に入ったからだった。

生麦事件から神戸事件・堺事件と連想が膨らんだ結果だな。

ほぼ意味のない文章を失礼しました。