データの真贋その2
さて、分子生物学が登場する以前の実験発生学では、
その実験結果はかなり正確に記載されているだろうと書きました。
しかしここにも問題はあります。
面白いのは、過去の文献に当たると、
ヨーロッパ産のイモリの実験に対して日本産イモリの実験結果で反論しているのです。
もちろん共通点もあるでしょうが違うところもあるはずです。
しかし、これらの結果を普遍性へとつなごうとしている空気が読めます。
まあこれこそが、イモリとツメガエルは同じであるとする空気そのものなのでしょうから、
両生類の発生学の伝統と言ってもあながち間違いではないような気はします
(ちなみに、発生学はembryologyを、発生生物学はdevelopmental biologyを指します)。
で、昔の教科書を見るとこの辺りもごちゃ混ぜに書かれているので、
最近では記載されている箇所の引用文献の著者が日本人かどうかで
そのデータの見方を変えています。
というか、いまのところ、教科書を読む時でも日本産イモリの結果のみしかみません。
それらの記載と,現在我々が持っているイモリの分子の結果を考えているのです。
洗脳は怖いと一般的にいわれますが、
これだけ叫んでいる私でさえもツメガエルの呪縛からはまだ逃れ切れておりません。
イモリは違うんだと身にしみて感じながらも、
何かの遺伝子を見ている時にはツメガエルの結果を前提としている自分に気付きます。
私くらいに疑いながら見ている人間でさえこうなのですから、
疑ったことさえない無垢な方々にはツメガエルはイモリなのでしょう。
岡田節人は「生化学の導入が発生学を10年遅らせた」と言いますが、
「普遍性・共通性への偏重が発生学を50年遅らせている」と私はいいたい気持ちです。