データの真贋

イモリとツメガエルの原腸形成以降の動きが異なることは何度も申しました。

しかしツメガエルの研究者は、一部の確信犯は除いてツメガエルとイモリは

原腸形成過程を含めた初期発生過程で同じ動きをすると信じています。

そこから生じる問題があり、その問題は非常に大きいのです。

 

具体的に上げることはいたしませんが、

これまでに思い込みによって結果を解釈したことによる

間違った論文が公表されています。

今では絶対に「頭部を誘導できない遺伝子」の最初の報告は、

その遺伝子の異所発現による「頭部を含む完全な二次軸の誘導」でした。

これなどは、オーガナイザーに発現している遺伝子である、

オーガナイザーは移植すると二次軸を誘導する、

この遺伝子も弱いが二次軸を誘導できる、

弱いというのは何らかの条件が合っていないだけで

正しい条件で実験すれば二次軸を作るはずである、

だから別の遺伝子を使って二次軸を作った写真を結果として載せよう、

まあこういう思考回路が働いたからであって、

本人には「捏造」と言う悪意は微塵もなかったわけです。

同様の報告は他にもあります。

二次軸には脊索が必須であると言う固定観念(先入観)から、

脊索が存在する二次軸のデータを論文に記載してしまう、

しかし、今となってはその実験では脊索は誘導されないことが知られている、

まあそういったものがそこここに散見されます。

 

で、ここまで極端なものは時間とともに真実が明らかとなりますので、

まあ大きな意味では実害は少ないと感じます。

しかし、たとえば実際に我々でも日常の実験から結果を解釈する時に、

先入観がどうしても入り込むことは避けられません。

それまでの「常識」を明確に否定する結果が出ているなら、

それは考えを改めなければなりませんが、

例えば二次軸を強烈に誘導できる遺伝子を発現させても、

100%の確率で二次軸が誘導できるわけではないのだから、

普通の実験では50%や60%というところで議論が進むのです。

とすれば、結果の解釈にどうしても先入観が介在する余地が生じます。

思い込みによって結果を間違った方向へと考えることが起こりえます。

間違った見方をするとどうなるかと言えば、

論文に載せる結果の数字に間違いが出てくるのです。

数字に間違いが出るはずはないとお考えの方もいらっしゃるでしょうが、

実験にはどうしても説明のつかない「変な」結果がつきものです。

たとえばその時の実験に用いた卵が悪かった時などは、

実験した胚はすべて死んでしまうということが起こりえます。

しかし、それまではまったく死なないとすれば、

「ああ、卵が悪かったんだな」と納得して

その実験自体をなかったものとすることがあるのです。

これは、明らかに「変な」結果が出た時には、

それを全体のデータの母数に加えると逆に信頼性が下がるので

当然のごとくしてしまうことであって、

これ自体は必要悪に近いものだと私は思います。

しかし、これにも明確な境界はなく、

どこまでOKでどこからはいけないというのは

その研究者の「良心」にかかっているとしか思えない。

 

なにが言いたいかといえば、

たとえば過去のツメガエルのデータの多くは、

ツメガエルが陥入するとして解釈されているものがほとんどなので、

そのデータの解釈や出されてきたデータの質に問題がある可能性が低くない。

これはご理解いただけるでしょう。

しかし同様に、分子の解析はツメガエルで徹底的に行なわれていますので、

イモリで分子的解析を試みた論文でも、

その結果をツメガエルに照らして解釈していることとなりますから、

その結果を鵜呑みにすると痛い目にあうのです。

また、イモリとツメガエルの遺伝子では発現様式が異なりますので、

ツメガエルで○○マーカー遺伝子として扱われているものが

イモリでも同じマーカーとできないことが起こり得るわけですが、

それをツメガエルと同様に「○○遺伝子が発現した」との結果で

「だから、この領域は背側化している」と結論づける。

ご理解いただけるでしょうが、

原口背唇部周辺はイモリではまさに背側ですが、

ツメガエルでは背側ではなく頭部ですし、

それらを同等に議論すること自体が無理ななのにもかかわらず、

「同じ」として解釈された結果ばかりが残っているわけです。

 

まあ、結論としては同じ実験をもう一度我々自身の手でやり直すしかないと思いますが、

逆に分子のデータが存在しない時代の論文は、

現象をありのままに書いていると考えてもいいでしょうから、

現象論に関しては得るものはあるかと思います。