続・ヒトとチンパンジーの違いって

では、ヒトとチンパンジーが分岐した瞬間に起こった変異で、

ヒトが確立したのだろうか?

まあ、それはおそらく違うだろうということは普通に考えて理解できる。

とすれば、ヒトがヒトとなったということを考えると、

おそらく、生殖的・物理的隔離が起こってから、

ゲノムが独自に進化し始めてからのことだろうと思う。

それは、よほどの凄まじい変異がない限りは

ヒトとチンパンジーの分岐した時点では、

両者の間に大きな違いはなかっただろうと思えるからである。

この考え方に立てば、昨日の議論とは正反対になるのだが、

ヒトとチンパンジーの本質的な違いは、

ゲノムDNA配列の大きく異なるところにあると考えても良いかもしれない。

 

こうなるともはや興味の違いということになるのだが、

ゲノムは基本的にその環境によって研ぎすまされたものであると私は考えるので、

その環境が大きく変わらない限りは、その環境による淘汰圧はゲノムの維持に働く。

とすれば、ヒトとなる方向へとゲノムの変異が起こったとすれば、

そのような大きな変異を容認する何らかの変異が入ったと考えられるのではないか、

そう考えれば、やはりヒトとチンパンジーの分岐に起こった変異の違いこそに

ヒトとチンパンジーの本質的違いがあるのではないかということだ。

 

ただ、以前にも論じたように、キリンの首の問題がある

(たとえばhttps://hashimochi.com/archives/580,

またはhttps://hashimochi.com/archives/1548を参照して下さい)。

キリンの首はおそらくは徐々に伸びたのではなく一気に伸びたと私は考える。

その為に表面にでない,密かに蓄えられるかたちで変異が蓄積し、

それらがまったく新規の関係性をとりうる時に

表現型として(新たなゲノムとして)のキリンとなったのだろうという議論である。

この立場で考えると、ヒトとチンパンジーの分岐点で生じた変異は、

おそらく、その関係性においてはかなり大きなものであったのだろう。

で、問題は、そこまでの議論を許容した上でも、

私は、そのDNA配列上の違いは極めて小さいと考えているのである。

遺伝子発現の時期や発現時間、あるいは場所を少し変える変異は、

プロモータ配列や転写因子の目に見えないレベルの変異でことは足りる。

それがゲノムのここそこに生じ、

しかしその変異自体は沈黙した状態で蓄積され、

ある程度たまった時に、小さな変異を持つ遺伝子群が新しい関係性を構築することで、

全く別の「かたち」を確立したと考えるということである。

だから、「ヒト」というものをどのように定義するかで、

ゲノムの何を知りたいかについては異なるのだろうが、

私はこの、一気にかたちが変わった、その本質をゲノムに求めたい。

なぜなら、それこそがゲノムというものの本質だろうと思うからである。