再び、最後の一行
たまに、何かの解説本で「最後の一行がすごい」と書かれているものがある。
で、そこまで書かれる小説を読んでみたくなって手に入れる。
で、読んだのだけど、面白くなかった経験が多い。
もちろん、その「選者」と私の趣向の違いもおおきいだろう。
しかし、何の先入観も持たずに読んでいたら
きっと面白かっただろうと、妙に冷静な気持ちでいることも多い。
「最後の一行」と聞かされたばかりにおもしろくなかったというわけだ。
で、ジレンマがある。
「最後の一行」と聞かされなければその本は決して読まなかった。
ということは、その本に出会うこともなかったということだ。
最後の一行という言葉には様々な意味があるとおもう。
まあ、普通に「最後の一行」と聞かされればどんでん返しを私は思い浮かべる。
だから、その意味で期待して読んでしまう。
しかし、最後の一行を「奇妙な味」で落とされたら
おそらく未消化なまま不満だけが残るような感じになるだろう。
何の先入観もなくその「最後の一行」を読んだら
きっとかなり感心・感動するだろうと思うのにと、
もったいない様に感じるのだ。
まあ、変形「奈良の大仏」って感情に近いのだろうと思う。
だから、この手の小説を薦めてくれるにはぜひともこの点を念頭に置いて欲しい。
そうすれば、一番面白いところをじっくり味わえるのだから。