独裁

よく「思考停止」におちいることがある。

考え事をしていて、何かの瞬間に新たなアイデアに思い至った瞬間に、

そのアイデアから抜け出せない、

というか、そのアイデアを得た瞬間にそれ以上の思考を止めてしまうのだ。

 

最近のマイブームである大阪市長選だが、

当初は橋下さん率いる「維新の会」への追い風がすごかった。

しかし、有識者も出てきて「独裁」と煽動し始めた結果、

世論でも「独裁やから橋下はアカン」という声が多くなってきたようだ。

 

なんだかこれも「思考停止」の魔法にかかっているようだ。

独裁がなんでアカンのか思考することなく、

独裁やからアカンという段階で止まってしまう。

最近は私の行くような安物の飲み屋でも

酔っぱらいのおっさんが橋下をさして上の文句を言う。

もちろんそのような先輩には口答えしないのが正しいので、

とりあえずニコニコ笑って聞いている。

でも、独裁=悪の図式には疑問が生じない。

 

独裁という制度には問題はあるだろう。

ただ、おそらく橋下のいう改革は独裁とは異なるように思う。

ここで議論は二つに分けなければ混乱するだろう。

大阪都構想は、扱う規模の水準に合わせて役所を作り替えようというもので、

広域事業には府(都)が、地域・住民密着型事業には市(区)が責任を持とうと

普通に考えて当然のことを言っているにすぎないように思う。

ただ、それを変えるのには独裁的なやり方をしなければ変えられない。

だから、大きな風を吹かせてやってやろうってことだけなんだろうと思う。

要するに、制度を変える方法論として独善的なやり方をするってことなのだろう。

それと、当選した暁には独裁体制を確立し、

ヒトラーやチャウセスクの様に振る舞うようなイメージの独裁となんだか混同して議論されている。

少なくとも私にはそう思える。

 

以前にカンブリア爆発に例えて大阪都構想を考えたが、

大変革をする場合にはこのくらいのエネルギーは必要だろう。

本当の議論とは、大阪都構想の中身であって欲しいと、

神戸市民ながら祈らずにはおれない。