ノーベル賞

ノーベル・生理学医学賞が決まりましたね。

しかも、一人が故人というおまけ付きで。

なぜ故人が受賞できないかという理由は諸説あるかも知れませんが

もっとも納得できる理由としては次のものがあります。

それは、もし死んでいる人に賞を与えるとした場合に

いつなくなった人にまで与えるのかという議論が生じます。

ここでの線引きなんてできるはずはありません。

10年前までとしたらその一日前に死んだ人はどうなのかってことになる。

そして、極論すればそれこそアリストテレスやアルキメデス、

ニュートンにケプラーまで与えなくてはならないこととなり、

それこそ賞の体をなさなくなるから生きている人になったということです。

まあ、これが正しいかどうかは別として、

個人的には一番納得した話でした。

私は新聞を読まないので、

この話題に関連してどこかで解説がなされているかも知れませんし、

上の説がまったくのデマである可能性も小さくありません。

興味のある方は各自お調べください。

 

さて、山中さんの受賞が期待されながら、

受賞を惜しくも逃すと言う結果に終わりました。

私も個人的に親しくさせて頂いている先生の受賞を期待しておりましたが

これまた残念なことに受賞できませんでした。

また二人で残念会をしようということになっています。

で、ノーベル賞はどのように決まるのかについてはさまざまな解説があります。

実際のところは完全密室で長い時間をかけて決まるということなので

いろんな解説の話がどれだけ正確なのか知りません。

ただ、友人と話していて「えっ、知らなかった」と言われたことがあるので、

それについて書いてみます。

 

ノーベル賞は、生理学・医学の部門で一番優れた功績を判断して与えられると考えられていますが、

それはある意味ではそうなのですが、

でもちょっと違います。

生理学・医学の領域でどの研究が一番優れているなんて判断できません。

免疫学と再生医学と発生工学と・・・のどれが一番なんて決められるはずがない。

だからまずその年にはどの領域の研究に賞を与えるかを先に決めます。

このことが意味するのは、今年は山中さんが受賞できなかったというのではなく、

再生医学の領域が受賞対象にならなかったということであり、

もし再生医学が受賞対象であったなら山中さんは間違いなく選出されたということです。

これは、私が個人的に受賞を期待していた先生にも通じるものがあって、

ある領域が受賞対象になればおそらくその先生が選ばれるだろうということです。

だから、まずある領域が選択された後に、

その領域の研究の中で重要な研究を最も最初に行なった人をさらに選択する作業があるわけで、

この過程で例えば島津の田中さんがあったという訳です。

 

ノーベル賞を個人の業績だけで受賞できる偉大な研究者はいます。

山中さんはおそらくその一人でしょう。

ただ、ある研究をした後に、その領域が後進の研究者によって飛躍的に進歩させられ

それが現代の科学の発展に大きく貢献したという場合には、

一番最初という理由で受賞対象に選ばれる研究者の功績がしばしば問題視されるのです。

その研究者はたまたま最初だったわけであって、

現代の発展は別の研究者がいなければあり得なかったという指摘が起こるのはこのためです。

数年前に受賞したクラゲの光るタンパク質にしても、

それ自身は素晴らしい努力の賜物ですが、

でも他のタンパク質を努力して精製した研究者と比較して優劣はつかないでしょう。

問題は、光るタンパク質がその後に先端医療技術へと応用され、

それが現在の重要な技術革新につながったということであり、

その事柄がノーベル賞の受賞対象となったということです。

そういう意味では、この場合の受賞は何となく「運」のような気さえしますが、

この「運」とは、運がよくて受賞できたのではなく、

同水準の研究であったにもかかわらず、

他の研究者たちは「運がなくて」受賞対象とならなかったのだと思います。