大阪都構想とカンブリア爆発(その1)

週末は寝たきり生活を満喫していた。

で、何となくテレビ番組を見ていたら

橋下大阪府知事が出演されていて大阪の改革について述べておられた。

編集のせいなのか、番組の最初と最後に論理矛盾を感じたところもあったが、

おおむね楽しんでご意見を伺うことができた。

 

さて、橋下知事が平松大阪市長に関して発した発言の中に面白いことがあった。

これは、この欄をご覧の皆様には「またか」と呆れられるくらいの

職業病的な感性の賜物かも知れない。

平松氏の感覚は平時にはよく、むしろご自身の感覚は平時に良くないと

橋下知事は述べられておられた。

非常時だからこそ大きな改革が必要であり、

それができるのは橋下だと受け取ったのだが間違っているかも知れない。

 

この発言を受けてカンブリア爆発を思った。

何度かこの欄でも書いているのだが(たとえばhttps://hashimochi.com/archives/628)、

カンブリア爆発はいろいろな説があるが、

なんと言っても環境の異常なまでの変化によって

それまでの生きものが新しい環境で生きられなくなってしまったことが

おそらくは最大の原因ではないかと思っている。

それまでのゲノムの体制で何とかなるのであれば

生物はそれほど変わらなくても生きながらえられる。

しかし、もはやそれまでの体制では二進も三進もいかなくなって

ゲノムに大変革が起こらざるを得なかったってわけです。

だからこそ、その瞬間に数億年後の現在に存在するほぼ全ての動物門が成立したわけで、

しかも、よく思われているような「新しい遺伝子の獲得」などやっているヒマなどなかったから、

それまでの遺伝子を使い回し、その関係性を変更させるだけで新たな体制を作り上げたわけです。

 

そう考えると、橋下知事のいう大阪都構想は行政というゲノムの変革にも思える。

橋下知事は何もかも潰そうとしているのではない。

いまある機能をそのまま残すのだが、それを組換えることで

いまの関係性から新しい関係性を作り上げる。

二つの重複する機能があればそれをひとつにするというのは分かりやすいが、

たとえば府が持っている機能のうちで府民の生活により近い機能を

市町村に直接関係づけて(府との関係を切り離して)、

逆に市町村にある広域的な機能を府の支配下に置くというのは

それぞれの機能(遺伝子と考えてもいいかもしれない)を壊すことなく

その遺伝子と別の遺伝子との関係性を強化し、あるいは断ち切ることで、

現在の環境に少しでも対応できる体制を作るということだ。

 

カンブリア爆発で私が強調しているのは、

あのゲノム改革は仕方なく行なわれたということである。

よく言われるように、少しでも有利な変異が残ることで進化するというのは

あくまでも「平時」の進化であって、

カンブリア爆発のような「革命」や「改革」ではない。

もう、これまでの体制を微調整するだけでは生き残れないくらい

厳しい淘汰圧にさらされたゲノムが起死回生の大改革を行ない、

そのほとんどは死に絶えた中で

一部の改革は環境に適応でき生きながらえることとなった。

というか、少しでも有利な変化というのも私には少々受け入れ難いのだが、

これに関しては次回にさせて頂く。