セミナー

金曜日にバージニア大学の荻野肇くんのセミナーを開いた。

荻野くんは遺伝子の発現制御機構から発生について考えている第一線の研究者で、なかなか面白い研究を聞かせて頂いた。そこで思ったことは、方法論の違いを超えて、というか思考回路の決定的な違いだった。もはや言語すら異なると思えるほどに生き物に対する考え方の違いは歴然としていた。

私は、生き物は結果であり、現存する生き物は全て必然であると思っている。だから、生き物が出来上がる機構、特に進化的な種の確立の機構があるとすれば、それはそうならざるを得ないからそうなったとしか言いようのないものだと思っている。そこに合目的論的な説明はもちろんつけられるが、それは目的論的な意味ではなく、結果としてその結論にならないものは全て種として生存できないから、結果論としてその機構が確立したとしか言えないのである。

たとえば魚とカエルに似た機能を持つ遺伝子が相同な領域に発現しているとする。しかし、その遺伝子同士の系統関係は実はそれほど近縁ではなく、もっと近縁の遺伝子(相同遺伝子)は互いに異なる発現パターンを示すということは実際に起こっている。この場合の意味は、互いの遺伝子の働きが等しいということだけであり、その働きがその領域に必要であるということである。だから、その働きをその場所に持たない種は確立できないので、そのような変異を受けた生物は現存できない。現存する生物種を比較して、同様の機能を持つ遺伝子が相同領域に発現しているのは、あくまでもそこに必要であるという発生拘束によるものであり、そこに進化的な機構論は成立し得ないと考える。

系統的に最も近い相同遺伝子が相同な領域に発現することが多いのは、それまでと同じ発現調節機構をそのまま維持すれば良いから同じ機能を持つが系統的に遠い遺伝子をその領域に発現させる変異を獲得するよりも確率的に起こりやすいだけであり、それ以上の意味は全く成立しない。だから、異なる生物種で相同遺伝子の発現制御機構が異なるのはきわめて当然であり、その違いを解析することで発生や進化の意味を問うことは全くできないと考えている。

荻野くんのセミナーは考え方の違いをもう一度考えさせられる良い機会であった。